「高品質の秘密」 – 品質の日本 –

 某自動車メーカー、米国でバッシングを受け大変な状況になっています。品質に自信を持っていただけに、非常に悔しい想いをしているに違いありません。対応の不味さと相俟って、いまだ収束の方向に向かっていません。

 あるコンサルタントが、「これは必ずケーススタディになる。」と言ったように、品質管理問題と事故が起こったときの対応事例になると思われます。企業戦略、製品戦略、品質管理プロセス、コスト管理、リスク管理、パブリックリレーションなど、非常に多岐にわたる課題が含まれています。

 私もコンピューターメーカーに勤めていますので、品質は大きな重要テーマです。ハードウェアにおいてもソフトウェアにおいても品質の問題や改善は絶えることのないテーマです。

 一方、過剰品質という言葉があります。日産自動車にカルロス・ゴーンさんが派遣されたとき、真っ先に指摘した項目の一つは過剰品質です。「超高級車と低価格車の両方に、同じウィンドウガラスが取り付けられているのはおかしい。」、「ライトも基準値以上の明るさは、どこまで必要か。」 品質問題はよく理解できますが、高品質はコストも当然高くなります。

 これは最近、あるソフトウェア会社の社長から聞いた話です。

 「日本の品質への期待値を米国に伝え、ソフトウェアのバグについてレポートしても、データが壊れるとか本番システムがダウンするような問題は別として、相手にしてもらえなくなっている。多少のバグがあっても、米国では大騒ぎにならないし、中国やインドはそんなことに関係なく売り上げは伸びている。」

 相手の主張も、もっともです。日本の場合、装置を届けるための外装に傷が付いていたり、外箱に汚れがあると、「こんなものはお客様に届けることはできない。」と海外まで送り返しますが、「中身に支障がなければ、問題ない。」と拘らない国もあります。

 ここに日本の、高品質の秘密があるのですが、前回書いたような几帳面で真面目な性格と、品質に対するプライドが日本人の心の奥底にあるからです。大昔からそうであったかどうかはわかりません。ただし戦後日本が高度成長したときの、モノづくりに対する拘りと品質に対するプライドはしっかり日本人のメンタリティに刻み込まれています。このメンタリティがなければ、高度成長はあり得ませんでした。

 倒産したGM、品質テスト項目数は日本のメーカー以上だったと言われています。重要なのは、その内容。きめ細かさや欠陥品を見逃さない姿勢、検査する人のメンタリティに差があったのではないでしょうか。マニュアルに沿った、時間賃金の世界での表面的な検査では、経験がものを言う微妙なエラーは見つけることができません。エラーの見落としがあっても、「自分はマニュアルどおりにやった。」と主張します。海外の工場に、改善依頼を何度も行っても、なかなか相手にしてもらえなかった経験があります。日本の電気メーカーの工場、表玄関の芝生は綺麗に手入れされており、そこには「品質のXX」という看板が立てられています。少なくとも私がお付き合いしている日本の製造業には品質に対するプライドがあり、欠陥品を造ったり、見逃しては「恥だ」というメンタリティがあると思います。冒頭の事故、設計やプログラムのミスはグローバルなエラーでしたが、ペダルについては、日本で製造されたペダルから問題は発生していないとのこと。

 P.S. 
昔の話ですが、メキシコで製造されたコンピューター。動かないと中を開けたら、ファーストフードで有名なハンバーガー店の包み紙が出てきたことがあったそうです。過剰品質とのバランス問題もありますが、「恥の文化」も捨てたもんじゃありません。

「ストレス耐性」 – オンとオフ –

 人財コンサルティング時代、幹部人財育成やコンピテンシー・マネジメントのプロジェクトが数多くありました。トップ・マネジメントの持つべきコンピテンシーは、リーダーシップ、判断力、論理的思考能力などなど、様々なものがあります。企業や業種によって、また定義の粒度によって若干の相違はあるものの、必要とされる基本的なコンピテンシーは大体似ています。

 定義されたコンピテンシーはグループ化され、優先順位や重み付けが設定されます。その中で、必ず上位にくるのが「ストレス耐性」でした。従業員に責任を持ち、企業価値を向上させ、株主に対して説明責任を負うという大変なプレッシャーの下に置かれるトップ・マネジメントは、やはり肉体的にも精神的にも強くなくてはなりません。

 とは言っても、トップ・マネジメントも人の子。所詮、人間です。外見上の表情とは裏腹に、心の中のダメージは小さくありません。実際ストレスが大きいあまり、心のバランスを崩してしまうマネジメントも少なくありません。ストレス環境下に強い、「ストレス耐性」とは何でしょうか?大きく二つあると考えます。

 まずは達成意欲。達成すべき目標に対して強い志向性を持っていると、ストレスを感じません。ストレスは確実に存在するのですが、その志向性がストレスを上回っている場合です。普通の人がそのストレスを受けると耐えられないようなものでも、気にならなくなります。また、ストレスがあっても、そのストレスをバネに、達成のための次のアクションに転化してしまう裏技を達成意欲は持っています。

 
 二つ目に考えられるのが、「オンとオフの切り替え」の上手さです。重要な意思決定を下す時、また、回避困難な課題がある時など、床に入ってもなかなか寝付かれず、仕事のことが頭から離れない。もちろん朝起きても、直ぐに頭に浮かぶのは、その課題であるなど、誰しも経験があると思います。100%忘れることは無理かもしれませんが、「ストレス耐性」の強い人は、気持ちの切り替えが上手です。ずっとオン状態では、機械と同じように消耗が激しくなります。素早い切り替えも重要で、忙しいトップ・マネジメントは時間がありません。5分でも熟睡、家族との談笑、スポーツクラブでの汗流し、銀座のクラブで馬鹿話、オフへの切り替えも見事です。

 これは「オフの質」と呼んでいますが、いくら時間があっても、オン状態の半分を引きずっていたり、オフの時間が十分にあっても、毎週日曜日にごろ寝しているだけでは、睡眠と同じで、質を伴わないオフは価値が小さくなります。

 ストレスは加算的。質の高いオフを上手に取って、オンの時間も充実させましょう!!

「解決策と楽観思考2」 – なんとかなるやろ2 –

 エンジニア時代、ある大学の研究ネットワークを構築していました。国立の女子大で、博士の集団でした。インターネット一歩前の世代でトークンリングLANという今となっては特殊なネットワークです。キャンパス内と研究棟の中を巨大なリングが通っている感じです。

 ところが本番カットオーバー間近になって、ネットワークが停止します。発生はいつも深夜。朝方に担当の先生から「ネットワークが繋がらない」と連絡が入り、再度立ち上げを繰り返す毎日。ところが正常に稼動している日もあるので、問題はより複雑でした。

 カットオーバーは日に日に近づいてきます。もう予定どおりの本番は、諦めざるを得ないかと考えていました。おっとりした先生方ばかりなので、怒られることはありませんでしたが、とても心配そうな顔をしています。研究機器に巨大な電子レンジのようなものがあり、電磁波が発生するので、この機器が原因ではないかと検証したり、色々協力もしていただきました。

 記録を見ると、いつも深夜に発生しているので、覚悟を決めてコンピュータールームで徹夜で監視することにしました。ところが何泊しても、ネットワークは正常です。もう大丈夫だろうと家に帰ると、次の日には異常が発生しています。責任感は強い方なので、寝不足と精神的なプレッシャーで心身共にボロボロになりました。なんとか問題解決しようと、コンピュータールームにある分厚い英語のマニュアルを持ち帰り、毎晩読んでいました。

 推理ドラマのような状況展開でしたが、状況証拠を整理し、とうとう原因を突き止めました。恥ずかしい話ですが、悪者は温度で、当時最新式の自動運転装置は、冷却装置まで深夜に停止しており、停止後1時間近辺でネットワークエラーが発生していました。エコ運転が災いした事件でした。夏でしたが、涼しい夜はエラーが発生せず、また、人が泊り込んだり、遅くまで仕事をした時にはエアコンが稼動していたため、問題は発生しませんでした。

 今では、図太い性格になってしまいましたが、当時は、思いつめる毎日。その大学へ入るとき、出るとき「なんとかなるやろ」とつぶやくことが精一杯です。あの時ほど、諦めは禁物ということを肌で学びました。

 極限状況のとき、「自分は関係ない」という態度をとる人や、「だからこんなネットワークを選択しない方が良かった」という、後ろ向きな意味のない発言しかしない人、人間模様が見えました。

 いかなる時でも、「なんとかなるやろ」と前向きに、諦めないで問題解決に取り組みたいものです。

 P.S. 
興味が出てきたので、Blue Zoneの書籍を購入しました。

「解決策と楽観思考1」 – なんとかなるやろ1 –

 「なんとかなるやろ」、好きな言葉です。

 
 この言葉の背景には、困難に直面している、または無理難題が山積みという状況が前提としてあります。

 好きな理由は、この言葉には2つの含蓄があるからです。

 1つ目は、「解決策が潜んでいる」という自信、漠とした信念です。難しい問題や課題にも必ず「仮の答え」はあります。「仮の答え」は全てを解決するわけではなく、部分解かもしれません。正しい解決策でない可能性もあります。ただし、この「仮の答え」を見つける意思、考える力は大切です。

 2つ目は、困難な状況に遭遇しても、へこたれない楽観的な気持ちです。生命の危機が迫っているのに、笑っていることもできないと思いますが、くよくよと悪い結果ばかり想像していても、良いことはありません。

 現実、ポジティブ思考の営業マンの成績は、ネガティブ思考の営業マンより70%も成績が良いという統計が出ています。世界一の長寿地域である沖縄。くよくよせず、笑顔が一杯ですね。笑いながらなんとかしていきましょう!ちなみに長寿地域のことを「ブルーゾーン」と言うそうです。何故「ブルーゾーン」と言うのか?謎のようですが、長寿研究をした人が書いた著書がこのタイトルであったらしく、その人が最初に研究として訪ねた地域が沖縄。きっと青い海が広がっていたのでしょう。

 これからは「青」を基調色としよう。

「戦略的マーケティング」 – 抜群の投資対効果 –

 ある朝、会社の人と待ち合わせです。

 分かりやすい場所ということで、駅前の某ファーストフード店で待ち合わせすることにしました。時間があったので、コーヒーを頼みました。レジに表示された金額は0円。「いくらですか?」と尋ねても、「0円となっております。ミルクとお砂糖はどういたしますか?」とのこと。

 そのままトレーごといただき、コーヒーを飲みながら打ち合わせ。しっかり場所も提供していただきました。二人の打ち合わせコストは、人件費を除くと0円。場所代、コーヒーとサービス・コストの負担者はファーストフード店ですが、投資対効果を考えた場合、中途半端なサービスでは提供できない価値と効果があります。下手に100円等の低価格で提供するより、宣伝効果は抜群です。もう一人の社員は、「味に自信があるからこそ、できるのですね。」と言っていましたが、確かに「安かろう悪かろう」では、ブランド・イメージを確立できません。

 コーヒー無料化のマーケティング投資は、下記のような効果が考えられます。

– ブランド・イメージの確立
– 味と香りに対するアンテナ・プロセス
– リピート顧客の増加
– 口コミによる宣伝効果
– 他の製品を売り上げるクロスセル効果
– 「無料、少し得した」という気持ちからくる財布の緩み、アップセル効果

 我々のような、コーヒーだけで店を出て行く客は稀で、また店内は満員でした。主力商品ではないコーヒーですが、ブランド・イメージを確立できればロングテールからロフティヘッドへの転換も可能となってきます。しかしそれにしても、投資対効果抜群です。

「目線を世界へ」 – 鳩山政権重要施策 –

 オリンピックの東京誘致が失敗に終わりました。前回のオリンピック開催国が同じアジアの北京だったので、可能性は低いと思っていましたが、印象的だったのが深夜のNHKニュースです。リオデジャネイロに決定後のニュースを見ていたのですが、東京の落選は詳細に語るものの、開催地がどこになったかについて触れていませんでした。小さなことかもしれませんが、オリンピック開催国がどこに決定したかというより、東京がどうだったのかという意識に偏ったコメントだなあと感じたのは私だけでしょうか?

 第一党を獲得した鳩山政権、鳩山内閣は、ぜひグローバルな目線で動いていって欲しいと思います。これまでのところは合格点でしょう。

 これまでの自民党の政治は、常に内向き政治。派閥、勢力争い、次の選挙、目線が矮小なところで終わっていました。世界から尊敬される政治とは大きくかけ離れていました。鳩山内閣もグローバルな世界においてリーダーシップをとっていくためには、いくつものハードルがありますが、井の中の蛙状態になっていないと思われます。

 鳩山内閣に期待したいところは、次の3点です。

– どんどん海外に出て行って発言し、日本の存在感と主張を知らしめること
– 環境政策で世界をリードしていくこと
– アジアの経済圏をまとめていくこと

 まだまだ少ないと思いますが、鳩山首相も早速渡米したり、東京オリンピック招致のためにコペンハーゲンへ出向くなど、とても積極的です。他の首脳陣を含め、海外の政治家やリーダーともっとコミュニケーションし、日本の考えを伝えていくべきです。次の選挙のことしか頭にない、矮小政治家ではいけません。経済領域での存在感がどんどん小さくなる中、しっかりと自国を主張していかないと、世界から蚊帳の外に追い出されてしまいます。

 京都議定書は「京都」という国際ブランドによって、大きな存在感を示しています。せっかく大きな話題を呼んだにもかかわらず、ポスト京都議定書ではリーダーシップが取れている状態ではありません。技術的にも先端を走っている日本ですから、世界への貢献度と大きくアピールできるはずです。鳩山首相の25%削減発言は大きな反響を呼びました。戦略的に環境政策を推進することにより、海外からも認められるリーダーとなることを目標にすべきです。

 中国の存在感が日々、大きくなってきています。人民元の国際化が強く意識されているようですが、巨大国中国は戦略的に存在感を出し始めました。ECから共通通貨ユーロが生み出されたように、アジア経済圏での共通通貨が機能すると、大きなメリットがあります。日本は今、リーダシップを発揮すべきタイミングです。国力が低下しているとはいえ、まだ経済力は十分ですし、円のドルやユーロとの互換性は抜群です。「東アジア共同体」構想を唱えていますが、アジア統一通貨、そしてアジア経済圏での貿易加速に貢献できれば、21世紀も日本は世界経済をリードできることでしょう。

 人財の確保、育成関連はこれからと思いますが、早速「緊急雇用対策本部」が設置されました。個人的な意見ですが、日本の失業率は健康的な水準だと思います。ばら撒き的な雇用調整助成金や教育補助にお金を遣うのではなく、戦略的な尖った人財育成を意識して欲しいと思います。

– 日本は、イノベーションが足りません
– 日本は、グローバル人財が足りません
– 日本は、失敗が足りません

この3点を支援する人財育成投資を期待します。
 

「放漫経営と資本主義の崩壊」 – GMの破綻 –

 久しぶりに米国へ出張しました。空港レンタカーの受付でGMの車を頼んだのですが、私の予約していたところでは空きが無いらしく、借りることができませんでした。

 2008年の6月1日に連邦破産法第11条を適用し経営破綻したとはいえ、置いていないとは思えないので、たまたま出払っていただけだと思いますが、レンタカー・ビジネスに積極的に車を提供しないのは正しい戦略。大量に販売できる反面、利益は薄く、中古自動車も大量に市場へ出回るので、再販価値は下がり、時にはブランド価値も損なってしまいます。どの自動車メーカーも販売台数の確保と薄利とのジレンマに悩んできたのがレンタカー・ビジネスです。

 レンタカー・ビジネス参入への是非はともかく、GM長年の放漫経営は多くの国民と従業員にとんでもない迷惑をかけました。資本主義の崩壊であります。なぜなら、良いものが生き残る世界に背中を向け、政府の支援を得続けたからです。「GM = 米国の象徴」という構図による、政府への甘えは、エクセレント・カンパニーを準国有企業に変えてしまい、とうとう破産に追いやりました。オバマ政権は、経営に口出ししないとコメントしているものの、今後確実に関与してくると思われます。なぜなら、これから5兆円もGMに投入しようとしていますし、再建も容易ではないからです。

 ここまで政府が関与してきた理由は何でしょう?もちろん「雇用問題」です。「米国の象徴」が多くの失業者を出すことを懼れたからです。ずるずると放漫経営を許し、中途半端な意思決定を繰り返して最悪の結果をもたらしました。これは明らかに間違ったプロセスだったのです。

 私の主張は、2006年あたりの経営不安が囁かれ始めた当初から一貫しています。市場経済の判断に任せ、一度倒産させるべきであるという考え方です。雇用問題はどうするのか?という問いは、残りますが、基本的に政府がいくら支援しても本業が成り立たなければ結果は同じ。公的資金を馬鹿な経営陣に渡し、放漫経営と高額の幹部用退職金に回すくらいであれば、その資金を従業員に支援金として配布すればいいのです。もし無駄遣い?せず、従業員に配っていれば、単純に割り算しても一人当たり1500万円以上もの支援ができたはずです。メリハリをつけ、貢献度に応じた支援をすれば、より効果的だったでしょう。再就職のためのスキル向上、失業中の生活費補填など、生きたお金になっていたはずです。

 人財はもちろん、金銭的な財も遣いようです!!

「興味と成長」 – カルバドス –

 りんごがビンの中に入ったお酒、何かわかりますか?

 りんごのブランデー、「カルバドス」です。似たようなお酒に、ぶどうのかす取りから作られた「マール」(樽漬け、フランス)、「グラッパ」(樽熟成なし、イタリア)があります。60度ぐらいの、ひっくり返るような強いものもあり、食後のデザート代わりに飲まれたりします。

 「カルバドス」はりんごの発泡酒シードルを蒸留させたもので、フランスらしく、シャンパンと同じように、ノルマンディ地方でつくられたものしか「カルバドス」と呼ばせません。

 あるレストランで食後に勧められたものが、写真の「カルバドス」です。なかなか美味しそうです。写真だとすぐに気づくと思いますが、大きなりんごが壜の中に入っています。ここで面白いのは、お酒そのものに興味が集中する人と、このりんごに目線が行く人が分かれるところです。ある人は、「これはお酒なのか?いったい何のお酒?」、別の人は、「どうやってこの細い壜の口から、大きなりんごを入れたんだろう?」という感じです。

 この興味の対象が人によって異なるのは当然です。ちょっと怖いのは、「なぜ?」という知的好奇心が薄らいだことによって、壜の口に対するりんごの大きさに興味を持たなくなることです。既に知っている人も、アルコールで酔っ払ってしまった人も問題ありません。ただし、そうではないのに気づかなかった人は要注意ですね。

 「歳をとると物忘れが多くなる」と嘆く人がいますが、それは経験が積まれるにあたって興味を失い、記憶の中の優先順位が下がってしまっただけです。脳みそは年齢で退化はしないと脳科学者は言っています。街角で気になる異性や芸能人、印象に残りますね。しかし普通の通行人の表情を覚えている人はほとんどいないはずです。

 「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったものです。好きだからこそ一生懸命やれて上達も早い。知的好奇心は「学びのきっかけ」。子供は何にでも興味を持ち、どんどん経験したことを吸収していきます。「なぜ?なぜ?なぜ?」を失いたくないです。

 P.S. 
もうお分かりかと思いますが、一応りんごの入れ方を解説しておきます。偽ボトルシップは壜をカットして、船を入れた後に元に戻すそうですが、このりんごも壜をカットしたりはしません。春先の実に壜を被せ、大きくなるまで育てていくようです。最初に考えた人は、きっと誰かをびっくりさせるために長い時間ニヤニヤしながら成長を眺めていたんでしょう。スローライフとはまさにこのことだと思います。

「仕事の共同体」 – 仕事のコンテナー –

 仕事とのめぐり合い、色々な形があります。皆さんはどのように現在の仕事に就きましたか?

 いつも思うのが、会社は電車に似ているということ。そう、仕事のコンテナーなのです。

 電車は線路の上を走るので、方向性は決まっているが、時々路線がスイッチされます。各駅停車もあれば、新幹線のような超特急もあります。そう言えば、国家公務員のエリートコースを「超特急」と言いますね。この路線、コンピューター制御の発達で、発車後に路線を変えたり、運行時刻を変えたり、予定を組み替えたりできるようです。頻繁に変えるのは限界があると思いますが、企業方針を変更するのと同じですね。公的資金を受けることなどは「緊急停止」です。本業を取り違え、脱線する企業も多いこと。乗客を詰め込みすぎ、満員電車もしくは予定していた乗客より多くの人が乗っているときは、強制的に下車してもらうこともあるでしょう。不正を行ったときの退場もしかりです。

 日本は正確な列車の運行で有名。時刻どおり運行できる国は、社会が安定しており、信用度の高い国。比較的運行が安定している韓国ですら、5分以内は遅延と見做さないと公表しています。遅延は20分以上という国もある中で、新幹線の正確さは驚異です。1分以上であれば大クレームとなります。日本人の仕事の仕方が顕れています。

 一方、社員は、一度乗車したらそのまま一生同じ電車で過ごす人もいれば、何度も乗りかえる人もいます。電車を会社と考えると、色々な人が乗り込んできます。ずっと乗っている人もいれば、すぐに降りてしまう人もいます。車両を移ることは、企業内での異動となり、同じ電車であっても新たな刺激とチャレンジが加わります。

 同じ車両に乗り合わせた人は、仕事の仲間。電車の正常な運行に対して責任を持つ共同体です。共同体の中は、通常グループ分けされその役割も分担されています。グループには管理職というリーダーが存在し、グループの運営を任されています。運転手は舵取りをする執行役社長で、車掌は取締役会といったところでしょうか。共同体においては、仲の良い人もいればあまり良くない関係もありますが、時に社内(車内)恋愛や結婚があったりします。「電車男」は、掲示板が爆発し、ドラマ化されてしまいました。

 いずれにしても電車は、「仕事のコンテナー」だなあと思います。魅力的な仕事と報酬で人財を集め、長期的に、きっちりした方向性で運行している電車がエクセレント・カンパニーなのです。

 最近は女性専用車両があって、ややこしい。これはジェンダー差別?

「企業文化と地域」

 米国の牡蛎(かき)に「ウェストコース・オイスター」と「イーストコースト・オイスター」があるのをご存知ですか?

 私は、甘さを感じるウェストコーストの牡蠣の方が好みです。大粒の牡蠣が好きな人は、イーストコーストのものがお勧めです。

 米国西海岸の陽気と、東海岸の生真面目さ。まったく違いますね。日本でいえば、大阪と東京、中国だと北京と上海、ヨーロッパだとイギリスとフランス、さらにはイングランドとアイルランドといった感じです。これは地理的な違いによる文化・風習の違いの一例ですが、私が経験した米国企業はやはり西海岸と東海岸では、企業文化に差があると思われます。

 スタートアップ企業をみても、西海岸では、学生時代からのアイデアが元になったアントレプレナー型の起業が多いのに対して、東海岸では、企業のドロップアウト型による起業が多いという印象を受けます。例外はもちろん存在するので、断定はしませんが、西海岸のずば抜けた陽気さが育む自由さと、人々をエンパワーし、とにかくチャレンジしてみようという気運は東海岸より勝っている気がします。一方、東海岸の企業は、統制がきっちり成されていて、統制型の企業文化が根付いています。

 さて、企業文化とは何か?

– 既存の価値観や伝統に基づく企業独自の性質や精神
– 社員の考え方や行動習慣の根本となるもの
– 企業文化とは、企業内の人間が共有する価値観、信条

など、色々な定義がありますが、私の定義は、「戦略を長期的に補完する社員の行動規範と価値観、職場の雰囲気」としたいと思います。

 以前、「楽しくやろう!」と声高に叫ぶ管理職がいました。飲み会もあれば、イベントもあるのですが、職場はまったく楽しくありません。この原因はよくわかりませんが、多くの人が「楽しくない」と言っていました。この管理職の行動を分析すると、とても官僚的、人の言うことを聞かず押し付けの価値観と命令が多かったと思います。多くのアイデアがある人々、積極的に提案をしていく人達を無言のうちに減らしていったのです。職場の雰囲気は、とりあえず言われたことをやるモードで、アイデアよりルールが最優先の職場は、アイデアパーソンを腐らせていきます。社員の行動を全てマニュアルに記載して、管理していくことは不可能です。接客技術の高いノードストロームやリッツカールトンの従業員がとった有名な行動は、マニュアルに記載されていたわけではありません。ルールになくても、基本となる信条に基づく行動が許される雰囲気が普段からないと、気持ちが萎縮してしまって行動に至りません。

 この企業文化、地域は関係あるのでしょうか?最近、自分のキャリア変更のタイミングで多くの企業幹部と会話しました。あくまでも私が接した印象ですが、やはり西海岸の企業の方が柔軟でした。いくつかの質問、提案、リクエストに対する反応があきらかに西海岸企業の方は融通が利きます。「Yes」ばかりではありませんが、一旦は検討してくれます。シリコンバレーのGoogle、Yahoo、Amazon新しいビジネスモデルは、やはり西海岸から生まれています。

 多くの異論があると思いますが、今日のところは西海岸に1票です!!