「日本の成長と自己実現」 – 労働意欲 –

 日本の労働市場改革が行われようとしている。

 結論からすると、とても良いことだと思う。少子高齢化の打開策、年金対策、日本の経済成長など、諸処の背景があり、「少子高齢化のなかでも高い経済成長を達成するため」と政府は謳っている。私としては、「労働意欲がある人の就労に向けた官民の取り組み」をもっと前面に打ち出せばいいのにという印象だ。経済成長は、健全な成長を求めればいい。永遠に成長し続けるわけがなく、どこの国も成長し続けたら地球が爆発してしまう。

 日本人は真面目で勤勉、まさしくそのとおり。その国全体を評価するわけではないが、例えばタイの空港に降り立った瞬間、easy livingの空気が流れていると感じるのは私だけだろうか。日本人はそもそも働くのが好き、集団的指導者に対しても従順である(指導されるのが好き?集団的魔法・暗示にかかりやすい?)。世界大戦時の全体主義やナチズムは心理学者フロムの『自由からの逃走』にあるように、完全な自由に人々は耐えられず、支配されることを望んだ結果から、上記のような指導体制が生まれたという考え方は正しいかもしれない。日本もドイツも生真面目な国民性である。個々人の考え方を重視する環境や、生真面目さが染み付いていない国では、集団で近視眼的な行動は発生しにくいと思う。

 何がいいたいかというと、この労働政策は、他の国と比較して機能しやすいということだ。

 今回の評価すべき点は、就労率の数値目標を設定した点である。しかも政府はその目標値を、年齢や性別カテゴリー毎の就労意欲を元に設定している。ボトムアップの数値なので、定期的に見直しが必要であるが、トップダウンの数字より国民のことを考えているニュアンスがあり、なんとなく嬉しい。

 「人口減少下でも働く意欲のある国民を支援すれば、成長基盤を保つことができる」という仮説。それに対して、「第一に真面目で勤勉な国民性」、「第二に就労意欲をベースにした目標値」の二点は、有効な検証項目である。おまけに第三の要素として日本は長寿国で高齢者が元気である。アメリカにたどり着いて、飛行機を降りるとき、日本と違うのは圧倒的な車椅子待ちうけの数だ。

 したがってこの政策は機能するというのが私の見解である。

 問題だなあと思うのは、若年層の数値。現在の数値は男女共に90%を下回っており、目標値も100%に近い数値ではない。男性では7%、女性では10%以上、就労意欲がないというのは心配である。若年層の労働力はどこにおいても必要とされているからほぼ自発的失業であろう。
 一方、高齢者の設定目標値は、12-3%現在より引き上げられており、働きたい人がいかに多いかを示している。米国のコンサルタントが話していた。
– 「ADPと2日前にミーティングをしたが、70歳の現役、80歳の現役がいて、元気に働いていて驚いた。」
 ADPとは米アウトソーシング企業の大手である。

 刺激がないと脳みそは成長をぱったり止めてしまう。脳細胞どおしを繋ぐシナプスは増えない。ネズミを例にとると、遊び場のある檻から、遊び場の無い檻に移されたネズミの脳みそは急速に衰えるという。定年後ガックリという例は、これに近いのであろう。ちなみに、人間の脳は疲れない。一生過激に使っても脳細胞からはお釣りがくる(1秒間に1個ぐらいのペースで脳細胞は死滅していきますが)。歳をとれば、記憶力が落ちるというのも脳医学的にはウソらしい。変化のない生活をしていたり、刺激が無さ過ぎたり、睡眠が十分に取れないと、記憶するための脳作用が落ちていくことが原因らしい。

「成果主義運用の難しさ」 – 明るい成果主義2 –

 さて成果主義、運用の難しさとはなんでしょう?

 まず、考課の問題。人間が人間を評価すること自体が議論の対象になります。仮にそれが是であったとしても、考課基準にバラつきは必ず出てしまいます。絶対数値だけで判断できればいいのですが、逆にそれでは人間が考課する意味がありません。

 次に文化的な背景。敗者復活戦ではありませんが、考課はあくまでも考課期間における考課。人格まで否定されたり、「仕事ができる、できない」の一般的レッテルを恒久的につけられてはたまりません。日本社会ではなかなか失敗に対する寛容と再起が難しいことも事実です。

 三つ目として指摘したい問題が、本人の目標設定能力です。KPI(Key Performance Indicator)と言われる重要指標を自ら設定し、明確な基準をもって達成に向っていくことができる人は、現実問題としてそう多くはいないでしょう。

 上記三つの難しさを解決するのに、大きな影響を与えるのはマネージャの力です。考課者研修があるように、考課基準とその判断を高い品質でさばいていくことができれば、フェアな評価が伴ってきます。二番目の問題も、マネージャが「失敗は永遠ではない」ことを示してあげれば、会社の雰囲気は大きく変わります。三番目の問題も、マネージャが目標設定を助けてあげれば、適正なKPIと、最低押さえなければならない目標と背伸びしたストレッチゴールの両方をバランス良く設定することができます。

 マネージャが成果主義に大きな影響を与えることを示す一例としては、マネージャの異動です。異動関連の会話をするとき、外資系でもよく「ケミストリ、大丈夫?」といった類の会話がなされます。そうです、相性の問題があります。「マネージャとの相性」は、業務においても評価においても大きな要素です。「マネージャが変わったら評価も変わる」、本来ないはずですが、必ずあります。相性の悪いマネージャと仕事をするのは、本人にとって不本意なはず。これは大きなストレスです。

 これを解決する方法は、部下が上司を選べるようにすること。しかしここまでやると業務が成り立たなくなります。そこでこの相性問題を緩和するには、360°評価です。重み付けは考えなければなりませんが、複眼的に見ることによって、偏った考えの上司に不合理な評価をもらうというリスクはかなり軽減します。「明るい成果主義」、「納得感ある成果主義」を目指していきましょう。

 P.S. 2ヶ月未満で退任した防衛省の大臣、どんな成果を残したのでしょうか?やはり日本の政治は世界の最低レベル。コメントを聞いていても腹立たしく、情けない。これだと成果主義も機能しないし、させようがない。キャリアとしては、立派な「大臣経験者」になるわけだし。やっぱり、運用は難しい?

一方、公務員に対する成果主義導入、楽しみです。「形骸化するのでは?」そうかもしれません。ただ、少しでも身を粉にして貢献している人のわずかでも評価されれば嬉しいですね。ぜひ、考課者には、国民を加えてもらいたいです。

「成果主義運用の間違い」 – 明るい成果主義1 –

『職場砂漠』という本を読みました。「働きすぎ時代の悲劇」とあるが、確かに悲劇である。あってはなりません。

 これらの諸問題は現実に存在するし、事実であると思います。一言では解決できない難しい問題です。現にこの本でも解決策が示されているわけではありません。どちらかというと、ジャーナリストとして真実を伝えるというモードで書かれています。

 危険なのは、これらの諸問題が成果主義自体の問題と誤解されることです。成果主義を問題視する書籍が話題となり、また、それを受け入れたくない層というか、これまでの評価制度からの変化に戸惑いを覚える人達に、「やはり成果主義は日本に合わない。」と追い風を送っています。

いつも成果主義そのものが間違いかのごとく叫喚されますが、成果主義はフェアな考え方であり、批判の多くは、その運用の間違いに基づくものです。仕事もしないのに、長年、籍をその会社に置いていただけで高給を貰っていては、低い給与で大きな貢献をしている人に説明がつきません、とても不公平です。

 ここで運用の難しさを述べたいところですが、長くなりますので、次回に譲りたいと思います。

 残念だったことは、この書籍のマーケティングです。インパクトのあるキャッチコピーがないとなかなか読者の目にとまって、買ってもらえないことは理解できますが、「グローバル化とIT化がもたらしたサラリーマンの心の病」と書かれては、成果主義どころかグローバル化とIT化が諸悪の根源のごとくです。

 出版社のマーケティング戦略に乗せられてはいけません。しかし私も中身を読まず、タイトルだけ見ていたら、誤解していたかもしれないところが恐ろしいところです。以前、私も本を出版したとき、自分の考えていたタイトルにはできませんでした。本のタイトルは、編集権の一部で、私が出した出版社では、社長決裁とのことでした。ささやかな抵抗として、日本では関係のない英文タイトルでは、勝手に私が想定していたタイトルで呼んでいます。

 私は「明るい成果主義」を主張したいと思います。

 敗者復活ありのフェアな環境において、貢献した者が報われる世界は理想のはずです。また、失敗に学ぶことは成功体験より学習効率は良いし、自分の弱点を強化して、またチャレンジすればいいのです。生活ができれば、給与が下がってもいいではありませんか。鬱になったり、命を絶つより楽なはずです。

 不向きな職種・職場・企業であれば、辞めて別の職場で頑張ることも正しい選択肢です。もっとも悩んでいるときは、このような発想ができないのは当たり前。日頃から「明るい成果主義」を頭に置いておきましょう。

 次回、成果主義、運用の難しさを補足したいと思います。

「自分ブランド」 – 余人をもって代えがたし –

 資生堂、アップル、メルセデスベンツ、三菱東京UFJ銀行、スターバックスコーヒー等など、ブランドの力って凄いですね。この前欧州の大手製薬メーカーの方と今流行のジェネリック薬品の話になりました。結論として、やはり「ビタミン剤レベルであればともかく、生命に関わるような薬品で、ブランドのないものは皆さん利用しないでしょう。」というコメントでした。

 ブランド価値は、付加価値の評価結果ともいえる「価格」を維持し、顧客の囲い込みに繋がっていきます。

 さて、人財マネジメントの世界におけるブランドとは何でしょう?あるいは、あなたのブランドは何ですか?「自分ブランド」は何かを認識しておくことは重要です。

学歴や名門の出身という優位性もありますね。ただしこれらはあくまでも静的な過去の資産・ブランド。ビジネスの世界での「自分ブランド」は、その人でなければできない仕事がどれだけあるかということだと思います。「余人をもって代えがたし」という部分が、その人のブランドでしょう。

コミュニケーション能力や語学力、財務諸表の理解、人間的な暖かさや好感度、コミットメントの強さ、誠実性、発想の豊かさ、業務に対する理解・経験、専門知識、それこそ評価項目は山ほどあるし、求められる部分も状況に応じて変わってきますが、「あの人なら安心できる」、「あの人でなければこの仕事は無理」という部分がビジネスパーソンとしてのブランドとなります。

先ほどのジェネリック薬品の話のように、どうでもいい領域はともかく、トラブル時や重要なビジネス案件になるとエース登場というのが一般的です。逆に他の人でもこなせる仕事であれば、それは代替可能という観点ではブランドの不要な仕事になります。その人しかできない仕事であれば、当然、高額報酬額も気にならないはずですし、未経験者でもカバーできる仕事であれば人件費の低い人・地域・国へ流れていきます。

人財の世界においても、ブランド価値が差別化要素になることは変わりません。実力はないが、言うことだけは大きい「偽ブランド」にも注意しましょう。

P.S. 日立製作所さんの広告「この樹何の樹、気になる樹」という詩から、もはや樹までブランドを持つ時代です。一説によると、日立さんはハワイの樹と土地を買い取ったらしい?

「メール文化の弊害」 – ユビキタス時代の仕事のあり方1 –

 電子メールがないと仕事にならない。事実そういう世の中になってきました。ただし電子メール依存は要注意。

 ユビキタス時代とはいえ、今回は電子メールの弊害を3つあげてみます。

(顔の見えないコミュニケーション)
肉声や表情がないリスクは大きい。これは簡単にご理解いただけると思う。私も経験があるが、自分の意図とは裏腹に、相手の心証を傷つけてしまうことがある。「メールはきつい!」と思ったことはないだろうか。感情が伝わらない、もしくは真意が誤解されて伝わってしまう。

顔の見えないコミュニケーションは危険である。笑いながら怒ることってよくあるし、心から怒っていても、メールでは無視されるケースもある。反対に、メール上での喧嘩を稀に見かけるが、救いようが無い。

(生産性の悪化)
 電子メールを活用しないと、現代社会での生産性は低くなってしまう。したがって利用は当たり前。ここからの話は相対的なものと考えてもらう必要があるが、処理の仕方によっては必ずしも生産性があがらなくなる。

例えば、会社の中でメールをリアルタイム処理している人いませんか?

所詮お手紙なので、リアルタイム処理には向かない。ポストの前で郵便配達の人を待っているようなものである。メールを出したら瞬間的に返ってきて、ほとんどオンライン状態。郵便配達であれば、基本1日1回であるが、電子メールの配信サーバーは疲れを知らない。ポンポン到着する度に反応していては、仕事に集中できていない証拠である。

「ながら族」としての仕事の仕方もあるが、量も多く、質の高い仕事は、やはり「集中」である。電子メールを処理していれば仕事をした気になる人がいるが、それは真ではない。付加価値を大きく生み出す仕事は、一部の職種を除いてメール処理以外の仕事にある。時間帯を決めて、集中処理がベスト。

 ちなみに仕事中にチャットを使っている社員は、最悪。会社でログを取っているところもあるようだが、ほとんどが業務に関係のない内容という結果が出ている。海外の人間と、技術情報の交換などを除いては、遊んでいるだけである。パソコンに向っているからといって、仕事熱心と思ってはいけない。

 目的志向の国なのか、中国でのチャット利用率は80%以上らしい。米国では17-18%、日本は比較的低く14%ということで、そんなに高くはないが。

(私生活への進入)
 携帯電話を持たないと不安だという人が増えているが、電子メールを見ないと落ち着かない世の中になってきた。非常にオンとオフが切り分けしにくくなった。「携帯電話とメールの届かない南の島へ行きたい。」という言葉は現実のものとなった。

 最近はセキュリティの関係で、社外にパソコンを持ち出せない会社が増えてきたが、それはそれで不便である。

P.S. 機内コンセントのヒント
 ビジネスパーソンにとって、移動中は貴重な仕事時間でもある。最近では新幹線にもコンセントがあるし、飛行機にも設置されていて便利だ。

 ところが、電源容量が足りないせいか、コンセントから供給されないケースが少なくない。電源が入らないか、バッテリーでの稼動となってしまう。隣の外国人ビジネスマンが、「バッテリーを外さないとダメ」と言っていたが、そのときは理由がわからなかった。この前、航空会社の方に聞いたところ、バッテリーを装着したまま利用すると必要な電気量が多いらしく、飛行機の電源供給量では十分ではないらしい。

 試しに外してみたら、非常に快適。まったく問題なく長時間利用できた。ちなみに英文機内誌の隅っこの方には、説明文が書かれているらしく、ほとんどの日本人は気づいていないらしい。これでは、当たり前ですねえ。

「データの罠」 – 口コミ・マーケティング時代 –

「データでもって証明してください。」と誰しも言われたことがあると思う。

稟議資料やプレゼンテーション資料、客観データが入っていると、説得力が増す。これは事実だ。徹底的にデータ検証、データ分析することによって、新たな事実やこれまで見えていなかった事象が見えるようになることもある。

いずれにしてもビジネスにおいて、事実を認識・理解していく過程、意思決定していく場合のデータには大きな価値がある。

一方人財マネジメントの領域においては、圧倒的に客観データが少ない。「情実人事」などと言われるように、顔が見えている人事が多く、上司が部下を知っていることによる適切な判断がなされる。ところが上司が異動してしまったり、付き合いが短い上司と部下だと、双方に大きなリスクが発生するというのがその実態だ。したがって、この客観データを提供していくことこそが我々の仕事であると考えている。

客観データをできる限り与え、最後は「人肌の人事」でマネジメントしていくことを私は常に主張している。私の勤めていた昔の会社では、夫婦で勤めていた社員が少なくなかった。どちらかが地方へ転勤になると、旦那もしくは奥さんの方の希望を聞いて、できる限り一緒に転勤させることを試みる上司が複数いた。ITで人財マネジメントを支援していながら、こんなことを言うのも変かもしれないが、「人肌の人事」があるからこそ人財マネジメントは人間の仕事なのだ。

久しぶりに那須のA温泉に行った。いつもながら良いお湯である。

知人のために宿泊予約を調べようと、ウェブサイトを見ると、ネット掲示板での書き込みがある。この利用者参加型の評価システムは、存在感が日増しに大きくなって、ブログや書き込みコメントを商売にするプロ達もでてきた。Web2.0時代の新しいマーケティングである。

概ね実態どおりの評価が並んでいるが、ある人が酷評している。好き嫌いは当然あるので、それはそれで正しい意見かもしれないが、明らかにこの人温泉わかっていないのではと思われるレビュー内容だった。よく読んでみると、文章もおかしい。

ところがこのメッセージには罠があった。データがきっちり提示されているのである。

温泉の成分分析がグラフで提示されていて、「A温泉はB温泉とまったく同じである。それなのにxxx円は高い。」というのがこの人のメッセージである。

私は栃木県人で、A温泉もB温泉もよく知っている。色々なところを巡るものの、大体毎週出かけるので、行った回数も半端ではない。明らかにA温泉とB温泉の泉質は異なる。肌がツルツルになり、美人の湯とも言われている。お酒のブラインドテストではないが、目隠しして入っても、その違いを当てる自信がある。それぐらい入浴時の感覚は違うのに、データを信じきった人が断言している。またそのメッセージはネットを通じて瞬く間に伝搬していく。

口コミ・マーケティングが「悪い方に作用」すると、また、「データを情報に変化させないまま活用」すると大変なことになる。

「グローバル・オペレーション」 – ユビキタス時代の仕事のあり方2 –

 仮想企業ではありませんが、グローバルなオペレーションを行うとなると、ユビキタス環境は必須。昔、ソニーの本社を香港に移すというアイデアがありましたが、日本企業も真剣に考えるべきです。IBMのパソコン事業を買い取ったレノボは、早々と米国ラーレイへ本社を移しています。

 つまり、ユビキタス環境があれば、本社も支社も関係なく、各機能別に最適な場所で仕事をしていけばいい時代になりました。

 昔IBMという会社にいましたが、当時はまだ、外資系ではあったものの、グローバル企業の匂いは非常に薄かったと思います。個人としてはグローバルな濃いオペレーションをしていた人もいたと思いますが、グローバルに全体最適されていたとはとても思えません。

 現在の環境は、まさしくグローバル・オペレーション。色々な人とコミュニケーションしますが、誰がどこにいるかわからない状態です。

営業チームは、地域特性を活かすことが必要ですし、ローカルが中心です。自社の中だけであれば閉じた世界で問題ないのですが、グローバル企業のニーズに応えるためには、地域間の連携も重要。他国の営業チームとの連携も珍しい話ではなくなりました。コンサルタントも、売れっ子は国境関係なく飛び回っています。サポートチームは24時間体制で、時差を利用した連携体制。R&D、研究開発部門は米国とインドに拠点を置き、インドのボンベイはグローバル企業が集中し過ぎたので、通勤事情や採用状況を加味してプネというところにも拠点を持っています。しかもR&Dの責任者はカナダに住んでいるので、「拠点がバラバラで、しかもこんなに距離があるのに、支障はないか?」と聞いたら、あっさり「何も問題ない。」と二つ返事。考えてみれば、同じビルで仕事をしていても、フロアが離れれば似たような状況かもしれません。

このような環境の中、場所を意識するのは電話会議を実施する場合ぐらいです。資料を共有して同期型のeラーニングツールを利用し、コミュニケーションを図れば国が離れていても、隣に相棒がいるような感じです。昨日も米国のコンサルタントチームが、遠隔で中国のプロジェクトをカットオーバーさせていました。

ユビキタス環境で重要になってくるのは、ネットワークと物事を統合していく力。

 距離は関係なくなったとしても、異文化を受け入れながら各チームが連携していかないと、大きな仕事、良い仕事はできません。これがネットワークと統合。

 小さな付加価値でも統合していくと、小さな付加価値の総和以上の価値、もしくは形を変えた新しい付加価値が生み出されます。組織に異文化が必要な理由はここにあります。私のシナジー理論ですが、これは別の機会に述べてみたいと思います。

 P.S.(1)あるときi-podへの曲のインポートをネットワークに繋がない状態でパソコンに取り込んでいました。取り込むこと自体は問題なかったのですが、曲名や演奏者情報が登録されず、「track1」、「track2」、「track3」のような表記になっています。最初愚かにも、手作業でタイトルと演奏者を編集していました。安かったので、オムニバス版?か、もしかしたら海賊版?と思いきや、なんとインターネットを通じて情報を書き込んでいたのでした。知らなかったのは私だけかもしれませんが、ネットワークと統合の良い一例です。個々の要素技術で優れている日本企業がアップル社に勝てないのは、ネットワークと統合の観点で負けているからです。

 P.S.(2)友人のビデオコンテンツ配信会社。レンタルビデオ屋を塗り替えるビジネスモデルで、映像を見る限り、それはごく近い将来、起こりうると思いました。その会社は特にハイビジョン映像をターゲットにしており、ネットワークによる配信スピード最適化を研究し続けています。感心したのは、ICTと映像の融合。「電車でxx!」のような、電車マニアが全国を旅するコンテンツだったのですが、各地の美しい映像はさることながら、自分の通った軌跡がパソコン上の路線図に記録され、全国制覇の状況を見ることができるようになっています。そしてGoogle Earthと連携して、各地の名所や詳細な現地の雰囲気を伝えるような工夫がなされています。ハイビジョン映像と連携すれば、まるで現地を自由に旅している体験ができます。

「ITによる人財マネジメント」 – 人事情報の非対称性 –

Googleが上場もしていない頃、Googleの創業者と渋谷で会った。まさかマイクロソフトを追い越す企業になるとは思わなかった。

さて、人財マネジメント分野におけるIT企業はあまり日本に進出していない。米国にはこの領域に、かなりの数のIT企業が存在する。はっきり言って、人事関連のアプリケーションにとって日本は難しい市場なのだ。

難しい理由を私なりに考えてみる。

まず、そもそもIT市場の伸びが少ない。アジア圏であれば、中国、インド、ベトナム、タイなどの伸び率には遠く及ばない。

「企業は人なり」という言葉とは裏腹に、人事システムの優先順位は高くない。やはり会計システム、生産管理システム、サプライチェーン・システムなどの後塵を拝することになる。

最も大きな理由としては、日本の人事部が偉すぎることだ。昔からエリートの集まりで、出世街道を歩くためには、どうしても人事部を経験しなければならない会社もあったくらいだ。なぜ人事部が偉いとダメなのか?ITを馬鹿にするからである。ITを崇拝するのは具の骨頂であるが、上手に利用した方が生産性は高い。ビジネス上の連絡に、現在でも郵便手紙を使っている人は何人残っているだろう?インターネットベースのメールシステムがないと仕事が立ち行かない。やはりITを上手く利用して、戦略思考に時間を使わないといけない。

以前、書籍を執筆したときに、「人事情報の非対称性」について述べた。これは情報の有無において不均衡が生じることで、人事情報はとても隔たりが出易い。機密性の高い情報でもあるから、注意が必要なことは確かだが、人事部だけが独占する必要もない。「見える化」すると、都合の悪い情報があるので隠していることも多いはずだ。悪いケースだと、この人事部だけが持つ情報を人事部の優位性にしてしまって、自分達の業務の特殊性を主張する人達もいる。ITは「見える化」を促進する。

面白い統計がでている。「人事制度設計に熱心な企業の業績は最近悪化している」という統計である。笑い話で(実例らしいが)、大病院における投薬の例がある。高血圧の患者が大量の薬を貰い、効きすぎて調子が悪くなった。別の医師に調子が悪いことを告げると、血圧が低すぎるので血圧を上げる薬を出され、2種類の薬を飲まされ続けたとのことである。人事制度もいじりすぎると、効果は相反する部分もでてくるし、複雑すぎてよくわからない評価制度などもある。人事制度設計を趣味のように考える人事の人がいたら要注意だ。

「所詮IT」、「たかがIT」であるが、日本の人事プロセスの生産性を高め、経営者、管理職と人事部が「戦略思考に費やす時間」と「人肌の人事に費やす時間」を増やし、少しでも日本企業の競争力強化に貢献していきたいと思う今日この頃である。

 

「101%の努力」 – 最後に笑うのは勝者 Winner takes all –

自社の社員、良く働きます。ダラダラ残業する社風はありませんが、生産性は社員に強く求めています。また、私自身チームリーダーであると共に、戦友ですから、喜びも苦しみも共にしています。

この仲間に、常日頃からアドバイスしている項目の1つが「101%の努力」です。

世の中努力しない人間、努力しない企業は、まともな競争社会において存在しません。みんな努力しているのです。「自分ができる100%の努力をすればいいじゃないか」という考え方も確かにあります。ただし、それにはリスクが伴います。なぜならば競争相手も100%の努力をしてくるからです。運によって、また、相手の努力が少しでも勝った場合、敗北となります。Tシャツに小さなロゴが入っているだけで、Tシャツ価格が大きく上がるように、差別化のポイントはごくごく小さなポイントなのです。この小さなポイントをつくるために1%の努力が必要となります。

一方、もっとも馬鹿らしいと思われる仕事のやり方は、99%の努力です。勝ち負けが1もしくはゼロの場合、99%努力しても99%のリターンや評価はもらえません。これは最も愚かな仕事の仕方で、要は手抜きの仕事をした場合です。ゼロの結果であれば、なにもしないで遊んでいた方が有益かもしれません。努力した経験やプロセスは残るので、まったく無駄だとは思いませんが、ビジネスの結果という点においては評価されませんし、仕事のやり方としても私は好きではありません。「負け癖」というのは、手抜きの仕事からついていきます。

101%の努力をした場合、競争相手が100%つまり完璧な仕事をしてきたとしても勝てる可能性が飛躍的に高まります。そして、そのリターンは100%以上のものが返ってくるケースも少なくありません。

– 99%の努力 ? ゼロ・リターンの可能性大
– 100%の努力 ? 勝率50%、想定したリターン
– 101%の努力 ? 勝率限りなく100%に近づく、予想以上のリターン

必ずしも上記のようにならないケースもありますが、なにより「人の成長」の観点では101%が最も効果的です。
人は、苦労した部分が知識・ノウハウとして身についていきます。差をつけるために1%努力することは大変かもしれませんが、苦労した部分ほど経験の深い部分になりますし、+1%の努力ができるかどうかで「勝ち癖」に繋がります。

「ホワイトカラー・エグゼンプション」 – 時間ベース労働と成果ベース労働の選択と提言 –

日本版ホワイトカラー・エグゼンプションは、以前通常国会への提出が断念されたままである。グローバル競争に対する日本国民の平和ボケ、政府の説明不足、成果主義後進国という事実が如実に表れている事象である。

まず第1点、グローバル競争下において、日本人ホワイトカラーの生産性の低さはよく指摘される事項である。私自身もそれは非常に感じる。

ダラダラした会議、リスクを取らないリスク、時間軸のないビジネス、事象を語るだけで対策が出てこない管理職、イニシアティブの弱いリーダー。海外で会議に参加すると、何か問題があった場合「お前はどうしたい?(どのような対策を何時までに取るのか?)」と必ず聞かれる。「そこのところはよく慎重に検討して....」なんて答えは答えとして認めてもらえない。もちろん個人レベルの比較ではないので、一概にコメントできないが、同意していただけるグローバル・プレーヤーは沢山いると思う。ビジネスを日本という枠にとらわれず考えていくとき、生産性の高い連中と戦っていかなければならない。その時意識しなければならないのはスピードと成果の質である。必要とした時間ではない。日本版ホワイトカラー・エグゼンプションは時間軸を伴った成果に目を向ける絶好のチャンスであったと思う。残業代削減のための悪法だと考えるのは、曲がった見方である。

例えば、ホワイトカラーだけでなく製造ラインにおいても生産性を謳えないわけではない。1分間に5個製造するラインであれば、1時間300個を目標成果とすればいいのである。成果物ベースで評価するとすれば、それより早く終わっても、遅く追加の時間がかかっても給与は同じでよい。早く終わった分には、生産性が高かったということで、特別手当をつけるぐらいの勢いが欲しい。この適用は全ての業務、職種ではなく、もちろん警備員のような、存在すること自体が付加価値をもたらす業務もある。これは対応した時間で評価すべきで、偶発性を伴う「犯人を3人見つけること」を目標成果とするわけにもいかない。

次に2点目として、政府の説明不足、説明下手を指摘したい。まずエグゼンプションという単語を理解できる人がどの程度いるのかを考えて欲しい。米国には「W4フォーム」という人事関連の申請書等があって、私も「そこにはそんな単語があったなあ。」というレベルの記憶しかない。野党からわかりやすい「残業ゼロ代制度」などと表現されて、こちらの方が認知度が高まってしまった。主婦の会話を聞いていても、「あれって残業代を無くす制度だよね。」と真剣に会話されていて、あきれんばかりである。生活費(生活残業費?)が削られると主婦にとっては一大事、当然国民は反対モードになる。  過労死問題も議論されているが、それは残業代を支払っても同じ問題が残るはずであるし、そもそも自己管理が現代のビジネスパーソンの基本である。逆に家庭や趣味重視のライフスタイルが有っても良い。

それでは今後日本でどのように成果型の働き方を推進していけばいいのだろうか?

私からの提案としては、「本人の合意とコミットメント」を主軸に適用していけばよいと思う。

勤務形態にエリア限定社員があるように、時間をベースに考えた賃金か成果をベースに考えた賃金かを本人に選択させるのである。当然、目標達成された場合の成果賃金は時間型より高く設定すべきである。まあこのあたりも企業の戦略的人事の1つであるが、コミットメントを高く評価しないと、みんなコミットメントしなくなってしまう。また、もう1つの試練になるのは、「評価の仕方」である。成果をどのように評価するか。我々はまだまだ下手くそである。KPI(Key Performance Indicator)を設定し、数値で評価できる項目は客観的に把握し、納得感のある評価を行っていかないと問題が残る。  レベルの低い国会でノロノロしているうちに、よその国はまた一歩生産性をあげていく。というより、生産性で差をつけられて困るのは、『フラット化する世界』にあるように国家ではなく個人なのだ!