「高品質の秘密」 – 品質の日本 –

 某自動車メーカー、米国でバッシングを受け大変な状況になっています。品質に自信を持っていただけに、非常に悔しい想いをしているに違いありません。対応の不味さと相俟って、いまだ収束の方向に向かっていません。

 あるコンサルタントが、「これは必ずケーススタディになる。」と言ったように、品質管理問題と事故が起こったときの対応事例になると思われます。企業戦略、製品戦略、品質管理プロセス、コスト管理、リスク管理、パブリックリレーションなど、非常に多岐にわたる課題が含まれています。

 私もコンピューターメーカーに勤めていますので、品質は大きな重要テーマです。ハードウェアにおいてもソフトウェアにおいても品質の問題や改善は絶えることのないテーマです。

 一方、過剰品質という言葉があります。日産自動車にカルロス・ゴーンさんが派遣されたとき、真っ先に指摘した項目の一つは過剰品質です。「超高級車と低価格車の両方に、同じウィンドウガラスが取り付けられているのはおかしい。」、「ライトも基準値以上の明るさは、どこまで必要か。」 品質問題はよく理解できますが、高品質はコストも当然高くなります。

 これは最近、あるソフトウェア会社の社長から聞いた話です。

 「日本の品質への期待値を米国に伝え、ソフトウェアのバグについてレポートしても、データが壊れるとか本番システムがダウンするような問題は別として、相手にしてもらえなくなっている。多少のバグがあっても、米国では大騒ぎにならないし、中国やインドはそんなことに関係なく売り上げは伸びている。」

 相手の主張も、もっともです。日本の場合、装置を届けるための外装に傷が付いていたり、外箱に汚れがあると、「こんなものはお客様に届けることはできない。」と海外まで送り返しますが、「中身に支障がなければ、問題ない。」と拘らない国もあります。

 ここに日本の、高品質の秘密があるのですが、前回書いたような几帳面で真面目な性格と、品質に対するプライドが日本人の心の奥底にあるからです。大昔からそうであったかどうかはわかりません。ただし戦後日本が高度成長したときの、モノづくりに対する拘りと品質に対するプライドはしっかり日本人のメンタリティに刻み込まれています。このメンタリティがなければ、高度成長はあり得ませんでした。

 倒産したGM、品質テスト項目数は日本のメーカー以上だったと言われています。重要なのは、その内容。きめ細かさや欠陥品を見逃さない姿勢、検査する人のメンタリティに差があったのではないでしょうか。マニュアルに沿った、時間賃金の世界での表面的な検査では、経験がものを言う微妙なエラーは見つけることができません。エラーの見落としがあっても、「自分はマニュアルどおりにやった。」と主張します。海外の工場に、改善依頼を何度も行っても、なかなか相手にしてもらえなかった経験があります。日本の電気メーカーの工場、表玄関の芝生は綺麗に手入れされており、そこには「品質のXX」という看板が立てられています。少なくとも私がお付き合いしている日本の製造業には品質に対するプライドがあり、欠陥品を造ったり、見逃しては「恥だ」というメンタリティがあると思います。冒頭の事故、設計やプログラムのミスはグローバルなエラーでしたが、ペダルについては、日本で製造されたペダルから問題は発生していないとのこと。

 P.S. 
昔の話ですが、メキシコで製造されたコンピューター。動かないと中を開けたら、ファーストフードで有名なハンバーガー店の包み紙が出てきたことがあったそうです。過剰品質とのバランス問題もありますが、「恥の文化」も捨てたもんじゃありません。