グローバル企業に勤めるにあたり、気づいた点というか再認識させられたことは、日本企業のグローバルガバナンスの弱さ。特にITの領域は、ほとんど野放し状態である。
海外のIT責任者と話をするとよくわかるが、本社側のガバナンスはほとんど効いていない。これは以前ERPを取り扱っていたときとほとんど変わっていない。つまり20年前とあまり状況が変わっておらず、失われた20年状態である。
20年前に何が起こっていたかと言うと、日本企業の現地法人のITアプリケーションは、多くのものが現地任せ。「各国の現地事情に合わせた選択」、一見当たり前のようであるが、実は言語の壁もあり、「ガバナンスするのが面倒、勝手にやってよ。」というのが本音ではないだろうか。挙句の果て、グローバルでデファクトになりつつあるものが逆輸入されてくる始末。
ガバナンスを辞書で調べると、「統治、管理、支配」。いずれもあまり心地よい言葉ではない。よく聞く言葉として、コーポレートガバナンスは皆さんご存知であろう。企業統治という翻訳は適語かもしれないが、ニュアンス的にはなかなか日本人にはなじみにくい言葉と思う。グローバルガバナンスも、政治学だと「国際社会の統治」という意味になり、IT領域におけるグローバルガバナンスとは意味が違う。
日本企業の現地法人の例を述べたが、欧米企業のグローバルITプロジェクトのやり方はまったく異なる。最初からグローバル・ワンボックスが前提で、同じソフトウェア、できるだけ統一したオペレーション、1つのデータベースが常識である。間違っても「各国好きなように」とはメッセージしない。狩猟型民族と農耕型民族の違いもあるのであろう。全世界のデータを「見える化」させようとしているし、ITもプロセスもグローバルな視点と範囲で最適化しようとしている。収益率を計るROA等が欧米企業と大きく差を空けられているのは、こういった最適化度合いも一要因である。
急速にクラウド化が進んでいるので、地勢的な環境はなくなり、グローバルな統一環境は促進されると思われるが、グローバル環境下におけるリーダーシップとガバナンス力はもっともっと強化していく必要がある。
日本の人財マネジメントを考えた場合、これからは狩猟型人財を育てなければダメ。待つだけでは大切な畑を荒らされるだけで、餓死してしまう可能性がある。
一方、異文化のギャップを感じやすい立場にある分、日本人はローカライズが得意。アメリカでしゃぶしゃぶレストランに行ったら、七味(しちみ)唐辛子が置いてあった。なんと英語名は’Nanami’と表現されている。元々「ナナミ」と呼ばれることもあったようだが、海外で発音し易いように意図的に「ナナミ」を適用したと思われる。
もう1つ、飲み物としてカルピスウォーターを注文したが、これも’Calpico’と可愛いネーミングがされている。
日本と同じ命名だと、とんでもない意味になるので、変更されたようだ。この「とんでもないもの」は何か?皆さん、頭の体操にお考えください。