「超一流のたまご」 *純真なプロフェッショナル

 「まだ若いから」というフレーズを安易に使ってはいけないと自戒した。

 ここで紹介するプロは杉本敬三さんというシェフである。若干27歳の若手シェフであるが、熱狂的なファンが多いので紹介するまでも無いかもしれない。フランスに修行にでて早8年とのこと。熱狂的ファンは彼の料理をフランスに食べに行き、勤めているレストランが変われば、追いかけるといった具合だ。

 基本的にはフランスの1つ星レストランに勤める杉本氏であるが、年に1度?日本に戻ってきて、出張料理を実施する。出張料理とは、日本で旅館やレストランを一時的に借りて、料理を振舞うイベントである。

 私はたまたま友人Iさんのご招待で、ご婦人が参加できなくなった空き枠でご馳走になった。

– 「素晴らしい!!」の一言である。見た目も味も。

 私が良い店に出会えていないのかもしれないが、「これまでのフランス料理は全てニセモノか?」と思うぐらいの逸品であった。それぞれの料理に独自の工夫がなされており、創造性が料理に化けたと表現してもおかしくない。プロの文豪や画家が恐ろしく早いスピードで作品を仕上げていくように、彼の包丁や料理器具の扱いは電光石火のごときである。

 本人の才能と人柄がなせる業だが、応援の人達も一流である。出張料理が開催されたレストランは、普通のビストロ・レストランといった感じのお店だったが、ソムリエもサービスの人達も、銀座や赤坂などの一流店から応援に駆けつけている。このシェフの料理に合わせたワインが振舞われ、サービスのタイミングも完璧である。

 隣に座った方も、プロの音楽プロデューサーの方で、料理に目がない方だった。やはり
– 「昨年フランスで食べた彼の料理は….」なんて話している。

 ホームページがあるので、見ていただければわかるように、写真だけでも芸術のような美しさがある。
http://plaza.rakuten.co.jp/keizo/

 TVで紹介された彼は、やはりフランスのセレブの自宅で出張料理を作る姿であった。フランス語も上手く、ワインもかなり詳しい。ブラインドでの試飲においても、時には本物のソムリエより的中率が高い。

 短い会話の中でも感じられるのは「ひたむきさ!」。とにかく純粋で一生懸命。この姿勢は、本来の素直さに加えて、目標を明確に持っていることや、プロフェッショナル意識から来るものだ。

 20歳そこそこで認められ、大きな仕事を任されていった背景には、この「ひたむきさ!」があった。眠っていなくても、どんなに疲れていても、床磨きすら手を抜かない。朝早くから雑巾で、ひたむきに床を一生懸命磨いている姿をみて、将来の光を彼の背中に感じたのであろう。

 次のメッセージは彼からの引用である。
– 「忙しい時は、時間を忘れ、何かに集中して、普段では出せない120%の力になる。こういう忙しさの中で、働くことの出来る幸せは、なかなかありませんね。」

 みなさん、忙しいとき、どのように感じていますか?

「熟成と腐敗」 – 本物を追求する心とマネジメント –

某テレビ番組のやらせで多くの消費者が踊らされた。皆さんも記憶している納豆ダイエットの番組である。

そもそも私自身は、忙しいせいもあってほとんどテレビを見ない。あのアホらしい内容で時間を潰されることは耐え難い。
日本の発酵文化と技術については、いつか紹介したいと思っていたが、良い機会なので、取り上げたい。

今は倒産してしまった那須食品の納豆、実に美味かった。日本の納豆が正式に海外で紹介されたのは、大正時代にイタリアのWHO会議で紹介されたこの那須食品の納豆である。当時の宇都宮大学の教授が持って行ったとのこと。
この日本の伝統食品は、1000年の歴史があり、弥生時代から存在しているという。発酵技術と食は、日本の誇るべき文化だと思う。

那須食品社長のM氏が語り始めると、このあたりの薀蓄は数多くでてくる。一緒に福島県へ焼肉を食べに行ったときのこと。「腐りかけの肉は美味い」という話題になったが、彼曰く、「熟成と腐敗は違う」と正確なコメント。
その焼肉屋には特上の上に極上という肉があるが、ごく少量しか取れない。肉を切り取る部位が少ないことも理由のひとつであるが、熟成過程の中でカビが生え、それを削り落としながらさらに熟成させていくのでどんどん小さくなっていくからだ。これは明らかに腐敗菌による腐敗と異なる。
納豆は納豆菌による熟成である。納豆菌にはタカハシ菌とミウラ菌の2種類しかないそうだ。賞味期限の切れた納豆を食べても、熟成である限り病気にはならない。これは私も実験して食べてみた。乾燥して固くなるだけである。

今回の一瞬の納豆ブーム時、スーパーの棚から見事に納豆が消え、M氏に
-「売上げが伸びていいね。」
と言ったところ、
-「品質管理上、直ぐには増産できない。」
とすぐに否定された。
熟成させるには最低3日間必要で、最近の納豆があまり臭くないのは、熟成期間が足りないからだそうだ。
また、納豆ダイエット効果については、
-「もちろん間接的な効果はあるかもしれないが、食べた後、適切な運動を行って初めて効果が発揮される可能性がでてくるのであって、食べるだけでは痩せない。いたずらに増産しても意味が無いのでやらない。」
と適切なコメント。楽して大きな効果があるはずもなく、既に一過性のブームに過ぎないことを捏造発覚前から見抜いていた。これこそ本質を見抜く力とマネジメントである。

色々勉強させられた那須食品であったが、大変残念にも2012年に倒産してしまった。B to BからB to Cに戦略を移した矢先に東北沖の大震災が影響し、耐え切れなくなったという。良いものとビジネスは別物という残念な結果である。

これまで述べた熟成と腐敗は人間にも当てはまる。

年功序列という人事施策は、色々な経験を得て人間が熟成していくという仮説のもとでは成立する。何年経っても同じ仕事の繰り返しであったり、間違った歳のとり方では付加価値は増殖しない。それにもかかわらず、年月を経ただけで高給を払ったり、威張っていることが年功序列の弊害である。酷い場合には、長年の悪習や麻痺で、汚職や老害のような腐敗が始まる。
私自身は、経験を重ねた年配の方をやはり尊敬する。経験がその人の考えや判断力と融合され、人間の幅を醸し出していく。

「ラスベガスのノン・プロフェッショナル(2)」 – 英語で喧嘩しよう –

昔、クラップスのテーブルでギャンブル好きの日本人Sさんに会った。そのSさんは、やはり賭けたのに、認めてもらえないのでトラブルになる。「俺は英語ができないんだ。」と言いながら大声で日本語のままクレームしている。

少しは助けてあげたが、こちらもSさんが正しいかどうか自信がないので、迫力がない。ディーラーもピットボスも主張をまったく取り上げてくれない。そもそも伝わっていない。
頭にきたSさんは大声で叫び、チップとダイスを遠くに投げつけて去ってしまった。そのアクションは凄かった、自己主張という観点では立派。周りの人からは「クレージー」という声が上がっている。しかし自分の主張を認めてもらえない以上、喧嘩に勝ったことにはならない。

ここからは前回のトピックの続き。

大トラブルになる前にピットボスにはさっさと登場して欲しいと思っていたので、腹立たしい。しかし、さすがにボスが来ると、怒りのディーラーも仕方ないという顔をしている。顛末は見ていたので、私は何も言わず「お代官様、公平なお沙汰を!」という感じで顔を見ていただけだが、何枚賭けたかを確認した後に、あっさり支払いを命じた。

その後ゲーム再開となったが、私は気分が悪いので、もちろん場を変えようと思っていた。ただ惰性というか何も考えず、いくつか賭けてしまったのだが、偶然にもそれが的中する。小さい配当であったが、それをきっかけにこのけしからんディーラーと勝負したくなった。

ルーレットには、あきらかに癖があり、円盤(ウィールという)の形状も色々な種類がある。例えばウィールの中にある山はドーム、外側はボウルと言ってそれぞれ傾斜が付いているが、ドームやボウルの傾斜角が浅いとハネる確立が高くなるし、深いとストンと落ちやすい。ボウル斜面にはピンが打たれているが、その位置が上の方にあると球の遠心力がない状態のときに当たるので、安定した落下になるが、下の方にあると加速度によってハネる度合いが強い。ボールポケットと呼ばれる穴も、深いものと浅いもので球の収まりが異なる。なにより、一番癖が出やすいのは人間の癖である。
上手いディーラー(こちらが予測し難いディーラー)は、球を色々なところにバランスを取って落とす。時計で表現すると、順番に12時、6時、3時、9時といった場所に落とすディーラーである。これは予測しにくい。体力的な問題もあると思うが、女性のディーラーは偏ったパターンが出易い。これは個人の感覚なので間違っているかもしれないが、許していただきたい。
投げるスピードとウィールの回転スピードも速い遅いがあり、投げてから球が落ちるまでにウィールが5回転以上回ると結構球は散らばる。4回転以下の場合は、(やはり早いよりは)予測し易い。女性のディーラーの場合、明らかに回転数は少なく、記録を取ると、偏りが出易い。よく隣の数字に落ちたりする。

ルーレット台には、台の横に電光掲示板が立ててあり、過去の的中数字が表示される。赤が非常に多いとか、奇数ばかり的中しているなど、以前のパターンがある程度読める。
先ほどディーラーが出した番号「25」を見ると、過去にも的中している。その次に的中した番号は「6」。試しに「6」とその両隣、また「25」の両隣に賭けると、見事に「6」が的中。不機嫌な顔で配当する彼女にチップをあげると、それが気に入らなかったのかまたまた怒り出し、唸りながらチップを無造作に投げ入れる。
人間、感情が高ぶっているときは、特に癖が出易い。緊張すると貧乏ゆすりが止まらなかったり、髪の毛を触りだすなど、人それぞれに癖がある。
怒ったまま球を投げると、またまた連続で「6」。私の勝ち分は増えるばかり。その次も隣の数字で的中、さすがに可愛そうになってきた。相変わらず不機嫌な彼女をマネージャはとうとう交代させた。感情のコントロールは本当に大切だ。

オチになるかどうかわからないが、チェンジマネジメントした後、語学ではハンデキャップがあるものの、冷静な日本人に戻った私が大勝利!
私は典型的な日本人で、とにかく表現が下手。西欧人からすると、無表情で何を考えているか最もわかりにくいタイプだろう。
喧嘩する場合、この表現の少なさは弱点になって、自己主張が弱くなる。笑われるかもしれないが、「怒ったフリをしなければ….」と考えながら交渉する場合が、日本にいるときより圧倒的に多い。そうでないと、相手に伝わらない。
私を含め語学力にハンディキャップがある日本人は、表現力と冷静さを武器に戦うしかない。
ちなみにビジネスで戦うポイントは何点かあると思うが、グローバルなプロセスや考え方を理解した上で、自分の強みが出せる土俵で戦うことが最も重要である。一例をあげると、(当たり前であるが、)日本についての知識や情報、自分の専門領域が勝負どころとなる。

ちなみにSAP社長時代の中根さん、怒ったときは、言葉少ない英語であっても、迫力満点。私の隣の大男のドイツ人がブルブル震えていた。

「ラスベガスのノン・プロフェッショナル(1)」 – 英語で喧嘩しよう –

コラムでカジノのプロフェッショナルを紹介したところ、好評をいただいた。

社外からのアクセスはほとんど無い状態と思っていたが、意外と見てくださっている。カジノが好きな人も少なくないこともわかり、安心した。別のカジノコラムを立ち上げた方がいいかもしれない。皆さん、自制心を持って楽しみましょう。
ハウスエッジ、つまり店のショバ代(取り分)はギャンブルの中では非常に低く、特にゲームによっては客側が有利なものすらある。私はこのハウスエッジの低いものしか手を出さない、2時間ぐらい腰を落ち着けて冷静に楽しめば、チャンスも巡ってきて、統計論ではハウスエッジに近づくのでそんなに負けないはずである。(一般的な実態としては、必ず負けるのでご注意。)

今回紹介するのは、前回と正反対、プロ失格のディーラーとマネージャである。
ゲームはやはりルーレット。多くの人が自分の好きな数字に賭けると思うが、私も予測できない状態の時は好きな数字に賭ける。いわゆるラッキーナンバーである。事件のあったときは17番とそのストリートベット(16、17、18の3つの数字をカバーする3目賭け)に賭けていた。17番には的中しなかったが、16に球は落ちた。オッズは12倍、確か2枚か3枚賭けていたと思う。好きな数字ばかりに落としてくれるほど神様は優しくないので、近辺のストリートベットやコーナーベット(4目賭け)を行うとリスクヘッジになる。的中したにもかかわらず、ディーラーが私の賭けていたチップを回収してしまったのがトラブルの始まり。大量のチップが台の上にあって、多くの客が入り乱れるとディーラーもなかなか大変、とても忙しい。抱えるように、ハズレチップと共に私のストリートベットを回収してしまったのだ。(所詮人間だから、こういった間違いは日常茶飯事。ボケッとしていて損をしている人は結構いると思う)
賭けていたことをクレームすると、最初は無視。再度主張すると、「本当か?」と疑っている。

外国人というと定義が広すぎるので、ここではアメリカ人とさせていただく。フランス人の交渉力と弁論能力はアメリカ人を凌駕すると思うが、アメリカ人も自己主張は強いのはご存知のとおり。空港等でトラブルになった場合、スタッフレベルでは融通が効かずマニュアルどおり処理されてしまう。時間もそんなにないので、諦めざるを得ない経験は何度かした。こちらも英語のハンディキャップもあるしトラブルになると、非常に手強い。
親切な姿はあくまでも彼らの余裕がある場合であると考えた方がよい。彼らは弱者に対しては優しいのである。弱い者いじめをしない教育を受けているから、こちらの立場を気遣ってくれる(ここは日本の教育現場と大違い)。ただしこれはある意味で対等な立場ではなく、日本人がナメられている場合があるので一概には喜べない。曖昧な日本人スマイルではいけない場合がビジネスにおいてもある(「ノー」と言えない日本人というのはこういう状況から生み出された言葉だと思う)。自分達の利害が関係してくると、態度は変わってくる。猛スピードで、スラングを交えて主張してくると、こちらは非常に不利な立場におかれる。

こういった場合、非常に重要なキーワードがあって、それは「フェア(fairness:公平)」というキーワードである。「それはアンフェアかもしれない」と言うと多くの場合、顔色が変わる。言葉もストップする。フェアというスタンスは彼らのプライドであるから、聞き捨てならないということになる。
そこで一旦チェンジペースというか、こちらの言葉を聴いてもらえる状態にして、論理的に主張する。英語もゆっくり喋ればよい。チェンジペースしないと、我々の3倍のスピードで主張されてしまうのだから勝てるわけが無い。上記の例のように英語が不得意な日本人ならではの喧嘩の仕方は、英会話教室では教えてくれない。異文化コミュニケーションにおいて悩んできた者の知恵である。

ノン・プロフェッショナルのディーラーの話に戻る。そのディーラーはポーカーフェースのディーラーとは違い、非常に感情を露わにする女性である。大柄で、ラテンアメリカ系の人だった。
しぶしぶ私の主張を認め配当を払うが、嫌がらせか、賭けた枚数は1枚で計算している。ストリートベットはオッズが低いので、1枚賭けることは絶対になく、最低でも2枚を自分の基準にしているため自信はある。
-「自分は最低でも2枚賭けるので、1枚はありえない。疑うのであればビデオを確認しろ。」(私)

-「何枚賭けたかもわからないのに、払えない」(ディーラー)

-「ダメ、ダメ」(ディーラー)

ディーラーは非常に不機嫌になって、こちらも気分が悪い。ピットクラーク(監視人)が2人のトラブルを見ている。頭の中は、どうやってチェンジペースにもっていくかで一杯だ。何枚賭けたかで争っていても埒があかない。出発点に戻るに限ると思った。
-「It was your fault fisrt, not my fault, wasn’t

「ラスベガスのプロフェッショナル」 – エンターテイメントを突き詰める –

当コラムでは、色々なプロフェッショナルを取り上げていきたい。ここではラスベガスに居たプロフェッショナルを紹介することにする。

ある年の年賀状にカジノ研究のことを書いたら、多くの方から反響があった。「何故細井がカジノ?」というコメントが多かったが、あの雰囲気が好きなんだから仕方ない。意外とハマッている人も少なくなく、凝った人は、各地のカジノで集めたチップを写真撮影して送ってきてくれた。    ギャンブルは、一般的に良い印象がないことは事実である。身を滅ぼすきっかけにもなるが、全ては自制心だ。この自制心は勝つためのポイントでもある。ようやく公式カジノの法案が準備され始めたが、未だ日本には公式カジノは存在しない。気持ちとしては微妙である。近くのカジノがあって欲しい反面、簡単に行くことができるようになると、少し自制の観点で恐ろしい。ギャンブルは快感物質を脳内に出すので、中毒症状を惹き起こし依存症を時に作り出してしまう。私自身、自制心は強い方であると思っているが、お台場等にカジノがオープンされると自信が揺らいでくる。これまで、日本の中ではギャンブルはやらない主義だった。

今回取り上げるのはラスベガスで遊んでいた時のこと。ゲームの種類はルーレットであった。そこそこ軍資金があったので、ミドルローラー(そこそこの掛け金をベットするプレイヤーのこと)レベルで遊んでいた。周りには小額のプレイヤーが多かったので、私が目立ったのかもしれない。また賭けに外れた時、たまたまピットボスの目についたのかもしれない。ピットボスとは、ディーラーの後ろでゲーム全体を監視するマネージャのことである。

雑談となり、「プロのディーラーは、落とすところをコントロールできるのか?」といった会話になった。シビアな国のカジノ、例えば韓国では考えられないことであるが、ショーンというピットボスは、私に笑顔を見せながら、ディーラーのブライアンに向って「Kazuoの番号に落とせ!」と言ってくれた。

Bryanはとても真面目そうで落ち着いた、シニアなディーラーである。無言ながらも頷いたので、私はゼロを示した。ゼロはディーラーが落としどころを練習する時に狙う場所と聞いていたからである。

いつもより心持ち慎重に、ルーレットの球を投げたような気がした。

最初の1投、球はゼロに落ちそうになった後、番号区切りのバーに当り、跳ねて5つ横の4番の数字へ落ちた。ルーレットを経験された方は理解できると思うが、予測した近辺にもベットしておくのは一つの作戦である。近辺の4番にも賭けておいたので、そこそこの配当が戻ってくる。

さて2投目、またも真剣な表情で球を投げると、なんとゼロにスポリと球は収まった。周囲からはどよめきが起こり、私の目の前には大きなチップの山がくる。ピットボスのSeanはウインクして笑っている。あまりにも驚いたので、ディーラーに質問。

-「いつも的中させることができるのか?」(私)

-「いや、いつもではない。」(ディーラー)

-「簡単そうに見えた。」(私)

-「簡単ではない。でも俺よりもっと上手な奴がいる。」(ディーラー)

この事実からわかることは、ギャンブルも、運のみで支配されているわけではないこと。プロのディーラーにかかれば、統計的な勝率はあてにならないということだ。完全にコンピューター制御されているスロットマシンならばいざ知らず、人的な要素が絡むゲームでさえも我々はコントロールされている。  人間的な要素が多いことがカジノ好きの理由でもあるが、やはりどの世界でもプロがいることを実感させられる。カジノには色々なプロがいるので、機会があれば他のトピックも紹介していきたい。

 

プロフェッショナルを感じさせる点は大きく2点ある。

まず、ディーラーの技量と冷静さ。日ごろから訓練していることを感じさせる振る舞いと実力。指示されたことに対して、難しいと思われることでも技術で結果を出していく姿勢。

2点目は、顧客を楽しませるという点である。特にラスベガスはエンターテイメントという観点では、やはり最高水準ではないだろうか。

韓国は金儲け色が強いし、マカオやアメリカ各地にあるインディアンカジノは騒々しく落ち着かない。アトランティックシティもラスベガスほどエンターテイメント性を感じさせないし、ヨーロッパはアムステルダムやロンドンに行ったが、気取りすぎ。オーストラリアも悪くないが、スタッフがプロっぽくない。テニアンは閉鎖的。

とにかく気持ちよく遊ばせようという姿勢が随所に感じられる。前述のピットボスもセンスのある奴だ。

カジノは、「勝者をより大事にする」と言われているが、これも事実である。

 

「口コミの威力」 – ソーシャルネットワークのパワー –

 3月11日の大地震、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 強烈な地震でした。私自身は、会社のオフィスでミーティング中でした。揺れでホワイトボードに文字を書くことができず、「これはダメだ」とミーティングを諦めて、同僚と揺れが収まるのを待ちました。ほとんどの人が同じような経験をされたと思いますが、携帯電話の通話は直ぐに通じなくなり、携帯メールも不安定で、届くまで2-3時間の時差がありました。

 一方、インターネットは問題なく稼動しており、非常に安定していました。Webと言われるように、くもの巣状に張り巡らされたインターネットは、一部の回線が不通でも影響を受けません。ニュースも素早く配信されるので、刻一刻変わる状況がわかります。

 電子メールは、コミュニケーション手段として、欠かせない生活の一部となりましたが、今回さらにそのパワーを感じさせたのがソーシャルネットワークです。メールはある意味、クローズな世界ですが、ソーシャルネットワークはコミュニティにおける情報共有。状況がどんどん変わる中、パブリックではないが、コミュニティという限定された社会の中でコミュニケーションが成立し、情報が波及していくスピードに驚かされました。

 こちら側が積極的に進めているわけではないにもかかわらず、週に何通かは届くFacebook等の「お友達リクエスト」、コミュニティ自身もどんどん増殖していきます。

 ウィキリークスは内部情報を暴露し、政府を震撼させました。それがソーシャルネットワークでさらに広がって、チュニジアを始めとする革命活動に繋がっていきました。

 最近の飲食店、口コミの評判を見る人が増えています。私も内視鏡検査を受けようと、病院の予約を昨日行いましたが、名医口コミ、参考になりました。六本木の有名な牛たんのレストラン、口コミを見て、直ぐに別の店を探すことにしました。このように情報は、人々の行動に影響を与えていきます。もうこのパワーは無視できない流れです。

 今後は、この情報の精度、信憑性をどのように担保していくかが重要なテーマになってくると思います。デマもあれば、自分で風評を流す人も出てきます。インターネット出現前から問われてきた「メディア」の存在意義と、公共性、社会性、報道の自由、プライバシー問題、画一の答えがないところをみると、今後も課題は残るでしょう。

 P.S. 大流行のFacebook、振り返れば2007年にカリフォルニアでは、話題を呼んでいました。あるカンファレンス会場で、テーマは「コラボレーション」で、「Facebookをやっている人?」という質問に対して、会場で手をあげた人は2割ぐらいだったでしょうか。やはりシリコンバレーは3年進んでいます。
カスタマイズしたクーポン券の配布サービス、「このビジネスを日本でやって欲しい」と言われたのも3年前でした。

「民の叡智の活用」 – 機能する政治と行政 –

 JR のぞみに乗って、大阪へ演奏に行きました。演奏は単なるジャムセッションでしたが、のぞみの車内誌に気になる記事が載っていました。

「奈良県 生駒市 副市長を公募」

 「少子高齢化、経済の低迷、国の財政の悪化など、地方自治体を取り巻く環境は厳しさを増していくなかで、持続可能な自治体経営を続けるためには、様々な行政改革をさらに進める必要性があります。」と説明され、「勇気を持って挑戦を続けることのできるコーチ=副市長」副市長をコーチと位置づけています。

 他にも事例があったことが記憶の片隅にあったので、少し調べてみると、佐賀県が最高情報統括監(CIO)を公募したことや、富山県や岐阜市もCIO補佐官を募集していました。

 今日の新聞に、菅政権の支持率が22%と発足以来最低であるとの記事が載っていました。既に国民の期待値は無いと思われるので、衝撃はないでしょうが、このまま日本という国はどこへ行ってしまうのだろうと不安を覚えます。派閥争いや次の選挙と地元の利権だけを考えている政治家は、既にプロフェッショナルではありません。政治のプロでない人達に政治を任せなければならない国民は不幸だと思います。

 私は、民主政治を補完するものとして、政治と行政のアウトソーシングを主張してきましたが、プロフェッショナルに任せるべきです。政治家を100%アウトソーシングしては民主主義ではなくなってしまうので、政治機能の一部でも良いと思うが、それこそ国民が信じたマニュフェストや財務指標、国際競争力等をKPIに、民間にアウトソーシングすべきです。派閥争い等は視野から外れていくような工夫も必要です。

 行政も、諸葛亮孔明がやったように、公務員を半減させても間違いなく日本の行政は機能します。あまりに無駄が多い。

 米国ジョージア州サンディスプリングス市のように、10万人都市でさえアウトソーシングを活用し、一人の市長、4人の職員、6人の議員で運営できています。もっともこれは、公務員を採用していく時間的余裕がなかったことからできあがった体制ではあるが。

 認定制度をつくり、利権が絡まないプロフェッショナルといえる政治家に政治そのものをアウトソーシングする、もしくは現在の政治家を、利権や私欲と切り離す工夫と共に再教育する。ここに書くように簡単ではないが、変革を実施しない限り、このままでは滅び行く国である。

 民間の叡智を活用し、必ずしも公務員でなくて良い仕事は、アウトソーシングを最大限活用していく。問題も発生しますが、生産性が向上し、客観性が高まり、財政にも寄与する可能性があります。

「経営統合3」 – ラーメン店の小さな変化 –

 経営統合は大きな変化ですが、小さな変化も「生き残り」を助けています。
 ある経済誌の記事に大変興味深いものがありました。

 有名なラーメン店、40年間、親子2代の伝統を守ったお店です。常連客は、「昔ながらの変わらぬしょうゆ味」を目当てに通い続けます。

 面白いのは、店主のコメントです。「同じ味でやっていたら潰れています。40年前と同じ味だったら、不味くてとても食べれません。」客の好みの味は、時代と共に変化するし、より良い味を求めて客が気づかないように味を変えているとのことです。

 「伝統」と「継承」。 「継承」の本当の意味は、「そのまま引き継がれる」だけではないような気がします。

 まず、一般的に思い浮かぶのは、伝統あるものをそのまま保存、引き継いでいくこと。もう一つは、伝統あるものを環境にあわせながら、アクティブな状態を維持していくこと。言葉の意味がよくわからなくなってきましたが、「継承」というのは、ただ単に同じ状態で保存しておくことではないということに気づきました。

P.S. 
小さな変化は時間軸だけではありません。時代の流れがタテの流れだとすると、地域の流れはヨコの流れ。同じメーカーのカップ麺、地域によって味を変えています。タイヤのゴム質も、走る地域によって材質を変えているし、女性の下着も緻密に研究されています。

 私もラーメンは大好き、なかなか麺もスープも満足というお店はありませんが、今後、時代の変化を考えているラーメン屋さんも意識してみたいと思います。今日はたまたま、岡山でラーメンを食べてきました。岡山も、ラーメンの美味しいところだったのですね。

「経営統合2」 – ゴルディアスの結び目 –

 経営統合、「過去のしがらみ」を断ち切る良いチャンスです。

 買収される企業や組織、かつてはエクセレント・カンパニー、多くの場合一世を風靡した時代があったことでしょう。買収されたり、経営統合の対象になるということは、価値がある証拠です。コア・コンピタンスがあれば、戦略を変えたり、プロセスを修正することによってV字回復する可能性があります。

 何度も書いているように、どのようなエクセレント・カンパニーでも市場適応できなければ、朽ち果てていきます。エクセレントから普通の会社に、普通の会社からダメダメ会社に。「エクセレントなやり方を変えていないのに?」と言っても、周囲の環境が変わっていきます。

 従業員は馬鹿ではありません。市場の変化を読み取り、自分達も変わらなければならないと認識しています。しかし、なぜ変われないのか?

 それが「過去のしがらみ」です。歴史は人を育て、プロセスをつくり、人や企業の関係を構築していきます。できあがったものには価値がありますが、時代とともに、その関係性は複雑になっていきます。BというプロセスはAというプロセスを前提としているので、Aが存在しなければBというプロセスは成り立ちません。そのAというプロセスを熟知する人はCという人なので、Cという人は不可欠になってきます。CさんにとってAというプロセスを提供することは自分の価値なので、積極的には他人へ伝授しません。BというプロセスにはDやEという他のプロセスも関係していたとしたら、Bの変更は容易ではありません。

 企業の歴史というものは、上のようなしがらみの連続です。至るところに、「過去のしがらみ」が積み上げられ、これがゴルディアスの結び目になっているのです。フリジア王になったゴルディアスが、誰にも解けない複雑な結び目を作って牛車を縛りつけました。これがゴルディアスの結び目ですが、近くにいる村人達は、頑張っても解くことができません。また、どうしてこのような結び目ができたのか、歴史があるとそう簡単には解明できません。同じ文化の中で育ってくると、結び目の解き方がわからなくなってきます。

 経営統合のタイミングはこの「過去のしがらみ」を解く瞬間です。一刀両断に、過去のプロセスを断ち切ってしまうアレクサンドロス3世なのです。しがらみを感じていては、迷いや固定観念が入り、プロセスを断ち切れません。大変な痛みを伴いますが、ゴルディアスの結び目を解く唯一の方法かもしれません。時には一刀両断、新しい目で変革が必要です。

「経営統合1」 *経営統合(人)

 経営統合、今回は「人」にスポットを当ててみたいと思います。

 PMI、聞いたことありますか?

 Post Merger Integrationの略で、買収後の経営統合の後、成功裏に統合効果を出していくことを目指すプロセスの総称です。

 そもそも企業文化の異なる会社や組織が統合するわけですから、そう簡単には成功しません。赤字企業を除き、買収時には株主価値に加えて、数10%のプレミアを付けることが一般的ですから、そのプレミア以上のシナジー効果が求められます。

 そもそもその前に、経営統合の目的を明確にすることが重要です。目的は下記のように色々あります。
– 企業規模の拡大(売上、市場、店舗、R&D)
– 顧客の獲得
– 競合潰し
– 人財の獲得
– 新たなビジネスモデルの獲得、もしくは補完
– 知的財産(IP)

 上記の中で、競合潰し、または特許など切り分けできる、明らかに企業所有の知的財産を除けば、「人」の役割はどの項目にも大きな影響を与えます。経営統合の成功と失敗は、人財のスムースな吸収が半分以上の鍵であると言っても過言ではありません。実際、企業買収を行ったものの、買収後に優秀な人財は誰もいなくなって、企業価値が大きく減少してしまうことは少なくありません。競合潰しの敵対的買収であれば、それも想定内かもしれませんが、支払う対価は想像以上に重荷となります。

 企業文化の差異を考えながら、人事制度の相違・格差を吸収させ、働く人のモチベーションを維持していく、なんと難しいプロセスでしょう。「企業は人なり」がまさしく露出することになります。置き換え可能な人達の集まりでは、この難しさはありませんが、ROAの高い企業は必ず「人財」を抱え、活かしています。
 買収側が、「人財を活かす」という発想を持っていること。これは大前提です。トップ・タレントを逃さない様々な仕掛けもあります。一方、重複部門や機能はリストラの対象にもなります。

 私の経験から言うと、マネジメントと従業員、両方のマインドがCSFとなります。どちらの場合も、本人達にとって変化ですから、この変化をいかに早く受け入れることができるかがポイントとなります。

 マネジメント、つまりリーダーは変化をドライブしていくこと、チェンジ・エージェントになることが求められます。自ら変化を創っていく気持ちが必要です。もちろん、変化させるだけではプロセスの破壊になるリスクが大きいので、既存のプロセスをどのようにスムースに移行、変化させていくか考えながらのチェンジ・エージェントにならなければなりません。

 一方、従業員は、この変化を楽しむ、受け入れるための工夫をするという気持ちでしょう。「しがらみ」があって、人はなかなか変われないもの、皆さんも実感しているのではないでしょうか。経営統合のような外圧がかかる良いタイミングに、自分と仕事を変化させるのです。既存の価値観とは異なるプロセスを受け入れることになるので、大変なストレスですが、変わらなければ化石化、カラパゴス化してしまうリスクが残ります。