「日本人の得意技」 – インフォーマル・ラーニング2 –

 前回述べたインフォーマル・ラーニング、実は日本人の得意領域。

 欧米人がやたらにインフォーマル・ラーニングを取り上げ始めたのは、個人主義が進みすぎたことに対するコンプレックスや反省ではないかと思います。

 日本の会社は家社会、日本型の人財マネジメントは家族主義。先輩が後輩を教え、職人は達人の技を盗み、匠の技はコンピュータ制御では達成できない金型や伝統工芸を生み出します。

 ジョブ・ディスクリプションに縛られ、個人主義で「これは私の仕事ではない」と言い切る社会では見かけない光景なのです。

 一方、インフォーマル・ラーニングの弱点は効率の悪さ。計画的に学ぶプログラム体系があると、学びの品質は安定するし、知識移転については漏れが少なくなります。つまり「育つ奴だけが育つ」という落ちこぼれリスクは少なくなるわけです。

 このように整理してみると、フォーマル・ラーニングは管理社会の理論によく似ています。私はいつも主張していますが、「管理」でできる仕事には限界値が存在し、契約書の条項と同じように、全て管理でまかなおうと考えると、非常に大きな管理コストがかかります。全ての場合分けを想定して規則づくりや契約の文言を考えると大変なので、「双方の協議により….」と記述する場合は、曖昧にしたリスクを残す反面、管理コストを下げているのです。また、管理で仕事を進めようとすると、ビジネスモデルの転換といった大きな仕事はなかなか出てきません。

 個人の裁量を活かすエンパワーメントは、この問題を克服するための考え方ですが、インフォーマル・ラーニングも、フォーマル・ラーニングを補完する位置づけで考えていくべきでしょう。

 多くの企業の研究開発部門においてもweb2.0の技術を用いて、ブログやコミュニティの知恵をインフォーマル・ラーニングとして活かしていこうと考えています。

 フォーマル・ラーニングおよびインフォーマル・ラーニングの投資対効果を測定した事例がありましたが、圧倒的にインフォーマル・ラーニングの方が投資対効果は大きいことが示されていました。フォーマル・ラーニングをシステマティックに管理し、インフォーマル・ラーニングを支援する環境を整備して、メンター制度など仕組みづくりをすることが人財開発の最先端です。

 P.S. 昔話を思い起こせば、ダメ・コンサルタントもしくは平均的コンサルタントは、「研修を受けていませんから….」、「まず研修を受けてから….」という発言を繰り返すばかり。知識教育であれば、フォーマル・ラーニングは効果的ですが、応用編は必ずしもフォーマル・ラーニングでカバーしきれません。最も優秀なコンサルタントは、トレーニング・マニュアルを自習し、お客様と会話しながら、自ら試行錯誤を深夜まで繰り返し、トップ・コンサルタントになっていきました。

「背中に学ぶ」 – インフォーマル・ラーニング1 –

インフォーマル・ラーニングが海外で話題になっています。

私が最初にこのブームを知ったのは、2007年の米国ラーニングベンダー各社CEOのインタビューでした。各CEOが、ステレオタイプの見本といった感じで、インフォーマル・ラーニングとコラボレーションの重要性を述べていました。

 その年のASTDやSHRMの年次大会でも、色々なセッションで取り上げられたようです。さて、そのインフォーマル・ラーニングとは何でしょう?

 フォーマル・ラーニングとは、計画されたトレーニングや全員が受けるテスト、必読の書つまりリーディングアサインなどです。それに対して、インフォーマル・ラーニングは、「背中に学ぶ」というか、公式なトレーニングではない場で学ぶことを指しています。経験と表現してしまうと定義の範囲が広すぎますが、正式なトレーニングでは得られない学びの項目は山ほどあります。

 身近な一例をあげると、我々が社内の最新情報を得るとき、各国のコンサルタントやマーケティング部門もしくはトレーニング部門のトレーナーが、インターネット経由の仮想のセッション、つまり遠隔での擬似クラスルームを設けてくれます。このクラスルーム自体は、フォーマル・ラーニングの一部ですが、後にこの録画セッションを自発的に聞いたり、またこのセッションの中で他の参加者が投げる質問や意見は、インフォーマル・ラーニングに繋がってきます。

 「お馬鹿な質問しているなあ」と感じるときもありますが、「前提知識がないと、このような発想をするんだ」とか、「その意見はごもっとも」と納得することも多く、知らないうちにより深い学びに繋がっていきます。教科書よりも、それらのメッセージの方が印象に残り、生きた学びとして定着していきます。

 次回は、インフォーマル・ラーニングで気づいた点とその効果、人財マネジメントとの関連などを書いてみます。

「日本人が持つ優位性」 – サービスとホスピタリティ –

 やはり日本のサービスとホスピタリティは凄いと思う。

 昔、チップ制度の国はサービスの国だから、サービスが素晴らしいと教えられた。とんでもない。いかにマニュアル的な対応が多いことか。食事の途中で、
– everything OK?
聞いてくれるのはいいが、あまりにもパターン化すると感動は薄れるし、チップ目当てのメッセージも多い。おまけに日本人が多い海外レストラン等は、チップが既に含まれていたりする。要注意です!

 この前、飛行機から降りたら、私の名前と座席番号を指定したプラカードを持った女性が立っている。プライベートでもよく利用する航空会社グランド・アテンダントのYさんだった。最初は「忘れ物でもしたかな?」と心配したが、
– 「よくご利用いただいているので、本日は特別なサービスを提供させていただきます。」(グランド・アテンダント)
– 「....?」(私)
– 「入国審査場まで、ご一緒させていただきご案内させていただきます。」(グランド・アテンダント)

 秘密のエレベーター?(普段使わないだけ)を通り、入国審査場で丁寧にお辞儀をして見送ってくれた。

 特別サービスの割には、私にとって大きな恩恵のないサービスなのだが、わざわざ人をアサインして待ち構えるという気遣いに感動した。以前別の航空会社で、エコノミーからビジネスクラスにアップグレードしてくれ、おまけにシャンパンをお土産に持たせてくれたことがあったが、何故かその時より好印象を受けた。

 極端な表現をすれば無駄なサービスだが、米国でみる航空会社従業員には上記のグランド・アテンダントの態度や言葉はない。これは米国航空会社の労働組合の強さから由来するのか?

 有名商社のIさんに紹介されたレストラン。なかなか予約が取れない場所だ。食事は美味しく、サービスも悪くない。感動したのは、食事場所に対するホスピタリティ。

 予約時Iさんは、いくつかの項目について質問されたそうであるが、特筆するは、「食事相手の業界」。個室でない場合、近くに同じ業界の人が座っていると、落ち着いて食事できないというのがその理由だそうである。したがって、同じ業界の人は近くに座らせないようにアレンジするのである。海外で、同じようなホスピタリティを提供しているレストランがあれば、ぜひ紹介していただきたい。

 日本の場合、ファミリーレストランでも感動する対応があった。電話がかかってきたのでホットコーヒーを注文して席を外した。席に戻ろうとした時、リーダー挌のウェイトレスが別のウェイトレスに目配せしている。合図されたウェイトレスは、暖かいコーヒーを運んできてくれた。一流のレストランは「目配り」が凄いというが、日本のファミリーレストランのレベルは恐ろしい。もっともこれはこの店と人だけかもしれないが。
 

 日本の旅館でのもてなし、タクシー運転手の親切さ、他の国ではなかなか味わえないと思いませんか?コミュニケーションが下手な日本人であるが、ホスピタリティと肌理細やかなサービスは日本人の優位性の1つだ。日本に来た外国人のほとんどは、閉鎖的な印象を受ける反面、ホスピタリティには感動する。サービス業の方は誇りをもっていいと思うし、グローバルにその感動を広げていくことができると思う。

 でも、「気が利かない人」っていますよね。お客様のコップが空になっても気づかない若者、相手の言いたいことを読み取れないコンサルタント、相手を不機嫌にしてしまう営業。個人の問題と片付けてしまうのは簡単だが、流行言葉になっている「美しい国」、そして「大人の国」になるためには、ホスピタリティを失ってはいけない。

「日本の成長と自己実現」 – 労働意欲 –

 日本の労働市場改革が行われようとしている。

 結論からすると、とても良いことだと思う。少子高齢化の打開策、年金対策、日本の経済成長など、諸処の背景があり、「少子高齢化のなかでも高い経済成長を達成するため」と政府は謳っている。私としては、「労働意欲がある人の就労に向けた官民の取り組み」をもっと前面に打ち出せばいいのにという印象だ。経済成長は、健全な成長を求めればいい。永遠に成長し続けるわけがなく、どこの国も成長し続けたら地球が爆発してしまう。

 日本人は真面目で勤勉、まさしくそのとおり。その国全体を評価するわけではないが、例えばタイの空港に降り立った瞬間、easy livingの空気が流れていると感じるのは私だけだろうか。日本人はそもそも働くのが好き、集団的指導者に対しても従順である(指導されるのが好き?集団的魔法・暗示にかかりやすい?)。世界大戦時の全体主義やナチズムは心理学者フロムの『自由からの逃走』にあるように、完全な自由に人々は耐えられず、支配されることを望んだ結果から、上記のような指導体制が生まれたという考え方は正しいかもしれない。日本もドイツも生真面目な国民性である。個々人の考え方を重視する環境や、生真面目さが染み付いていない国では、集団で近視眼的な行動は発生しにくいと思う。

 何がいいたいかというと、この労働政策は、他の国と比較して機能しやすいということだ。

 今回の評価すべき点は、就労率の数値目標を設定した点である。しかも政府はその目標値を、年齢や性別カテゴリー毎の就労意欲を元に設定している。ボトムアップの数値なので、定期的に見直しが必要であるが、トップダウンの数字より国民のことを考えているニュアンスがあり、なんとなく嬉しい。

 「人口減少下でも働く意欲のある国民を支援すれば、成長基盤を保つことができる」という仮説。それに対して、「第一に真面目で勤勉な国民性」、「第二に就労意欲をベースにした目標値」の二点は、有効な検証項目である。おまけに第三の要素として日本は長寿国で高齢者が元気である。アメリカにたどり着いて、飛行機を降りるとき、日本と違うのは圧倒的な車椅子待ちうけの数だ。

 したがってこの政策は機能するというのが私の見解である。

 問題だなあと思うのは、若年層の数値。現在の数値は男女共に90%を下回っており、目標値も100%に近い数値ではない。男性では7%、女性では10%以上、就労意欲がないというのは心配である。若年層の労働力はどこにおいても必要とされているからほぼ自発的失業であろう。
 一方、高齢者の設定目標値は、12-3%現在より引き上げられており、働きたい人がいかに多いかを示している。米国のコンサルタントが話していた。
– 「ADPと2日前にミーティングをしたが、70歳の現役、80歳の現役がいて、元気に働いていて驚いた。」
 ADPとは米アウトソーシング企業の大手である。

 刺激がないと脳みそは成長をぱったり止めてしまう。脳細胞どおしを繋ぐシナプスは増えない。ネズミを例にとると、遊び場のある檻から、遊び場の無い檻に移されたネズミの脳みそは急速に衰えるという。定年後ガックリという例は、これに近いのであろう。ちなみに、人間の脳は疲れない。一生過激に使っても脳細胞からはお釣りがくる(1秒間に1個ぐらいのペースで脳細胞は死滅していきますが)。歳をとれば、記憶力が落ちるというのも脳医学的にはウソらしい。変化のない生活をしていたり、刺激が無さ過ぎたり、睡眠が十分に取れないと、記憶するための脳作用が落ちていくことが原因らしい。

「超一流のたまご」 *純真なプロフェッショナル

 「まだ若いから」というフレーズを安易に使ってはいけないと自戒した。

 ここで紹介するプロは杉本敬三さんというシェフである。若干27歳の若手シェフであるが、熱狂的なファンが多いので紹介するまでも無いかもしれない。フランスに修行にでて早8年とのこと。熱狂的ファンは彼の料理をフランスに食べに行き、勤めているレストランが変われば、追いかけるといった具合だ。

 基本的にはフランスの1つ星レストランに勤める杉本氏であるが、年に1度?日本に戻ってきて、出張料理を実施する。出張料理とは、日本で旅館やレストランを一時的に借りて、料理を振舞うイベントである。

 私はたまたま友人Iさんのご招待で、ご婦人が参加できなくなった空き枠でご馳走になった。

– 「素晴らしい!!」の一言である。見た目も味も。

 私が良い店に出会えていないのかもしれないが、「これまでのフランス料理は全てニセモノか?」と思うぐらいの逸品であった。それぞれの料理に独自の工夫がなされており、創造性が料理に化けたと表現してもおかしくない。プロの文豪や画家が恐ろしく早いスピードで作品を仕上げていくように、彼の包丁や料理器具の扱いは電光石火のごときである。

 本人の才能と人柄がなせる業だが、応援の人達も一流である。出張料理が開催されたレストランは、普通のビストロ・レストランといった感じのお店だったが、ソムリエもサービスの人達も、銀座や赤坂などの一流店から応援に駆けつけている。このシェフの料理に合わせたワインが振舞われ、サービスのタイミングも完璧である。

 隣に座った方も、プロの音楽プロデューサーの方で、料理に目がない方だった。やはり
– 「昨年フランスで食べた彼の料理は….」なんて話している。

 ホームページがあるので、見ていただければわかるように、写真だけでも芸術のような美しさがある。
http://plaza.rakuten.co.jp/keizo/

 TVで紹介された彼は、やはりフランスのセレブの自宅で出張料理を作る姿であった。フランス語も上手く、ワインもかなり詳しい。ブラインドでの試飲においても、時には本物のソムリエより的中率が高い。

 短い会話の中でも感じられるのは「ひたむきさ!」。とにかく純粋で一生懸命。この姿勢は、本来の素直さに加えて、目標を明確に持っていることや、プロフェッショナル意識から来るものだ。

 20歳そこそこで認められ、大きな仕事を任されていった背景には、この「ひたむきさ!」があった。眠っていなくても、どんなに疲れていても、床磨きすら手を抜かない。朝早くから雑巾で、ひたむきに床を一生懸命磨いている姿をみて、将来の光を彼の背中に感じたのであろう。

 次のメッセージは彼からの引用である。
– 「忙しい時は、時間を忘れ、何かに集中して、普段では出せない120%の力になる。こういう忙しさの中で、働くことの出来る幸せは、なかなかありませんね。」

 みなさん、忙しいとき、どのように感じていますか?

「先送りの弊害」 – 問題先送りのリスク –

 社会保険庁問題、大騒ぎしています。この問題の根っこは、「責任感の欠如」と「問題先送り精神」。

 ビジネスにおいても時々「問題の先送り」をしたがる人がいます。後で結論を出した方が効率の良い意思決定項目は稀で、ほとんどの問題は先送りによって時間を浪費します。

 それどころか、記憶は曖昧になり、余計な仕事が増えていきます。しかも本人は、とりあえずその場は仕事をした気分になっているのでたちが悪いです。

管理者は「あれやってくれた?」と何度も確認しなければなりません。お客様からは、「この問題どうなっている?」と問い合わせが入り、問い合わせを受けた人の仕事を増やし、問題の張本人もリアクティブ(後手)なので、処理解決まで「先送りしなければ済んだ」以上の手間がかかります。

 意思決定とはリスクを伴うもの。リスクがあるので、情報収集や分析、状況の流れを読む力が必要になってきます。最後はカオス状況の予測し難い環境で判断することも多いはずですが、私は、この分析と流れを読む力こそが経験と考えています。脳ミソも、記憶の定着性は若年層の方が良いようですが、30歳を過ぎると、物事のつながりを判断して考えていくことに優位性がでてくるようになります。ITでいえば、システムやデータベースを繋げるネットワークの力が強力になってくる、つまりあちこちに分散した記憶データを寄せ集めて、物事を判断していく能力が飛躍的に高まるそうです。

 ちなみに「歳を取ると記憶力が衰える」というのも、必ずしもそうではなく、関心事の範囲が広くなる分、記憶の定着性が悪くなると言われています。自分が関心のないものに対して脳は「忘却する」というメカニズムを持っていますから、関心の薄いものは記憶に残りません。(脳に伝わった情報を全て精密に記憶してしまうと、さすがの脳も数分でパンクします)人生を左右するテストの合否結果や大切な商談、あるいは大切な人のメッセージ等は忘れないはずです。歳を取ると活動範囲が広くなる分、一つ一つの関心レベルは低くならざるを得ません。これが記憶力が衰える根拠ではないかと考えています。幼少の時期や若い時期は、見ること、聞くこと全てが新鮮で、視野が狭い分、余計なことを考えずどんどん吸収していきます。

 話を戻します。要は、得た情報を元にして判断する力は経験のなせる業ですから、問題が発生したら、それに対する解決努力を先送りせず、できるだけ早く意思決定していくことが「仕事のできる人」なのです。

 組織の中に問題先送り人間がいると、まわりの人の生産性をも低下させます。皆さん十分に注意しましょう。

 P.S. 恐慌のおそれがあると言われているサブプライムローンの問題。これも一種の問題先送りです。低所得者層をターゲットにしていたローンなので、そのリスクは昔からわかっていたはず。しかし最近そのリスクに火がついたのは、金利上昇の先送り問題がいよいよやって来たことが原因です。
 そういえば、日本にも「ゆとりローン」という金利上昇を先送りにしたローンがありました。これは低所得者層ターゲットではなかったと思いますので大丈夫かと?!。生活面でも「先送りのリスク」を認識しなければなりませんね。

「成果主義運用の難しさ」 – 明るい成果主義2 –

 さて成果主義、運用の難しさとはなんでしょう?

 まず、考課の問題。人間が人間を評価すること自体が議論の対象になります。仮にそれが是であったとしても、考課基準にバラつきは必ず出てしまいます。絶対数値だけで判断できればいいのですが、逆にそれでは人間が考課する意味がありません。

 次に文化的な背景。敗者復活戦ではありませんが、考課はあくまでも考課期間における考課。人格まで否定されたり、「仕事ができる、できない」の一般的レッテルを恒久的につけられてはたまりません。日本社会ではなかなか失敗に対する寛容と再起が難しいことも事実です。

 三つ目として指摘したい問題が、本人の目標設定能力です。KPI(Key Performance Indicator)と言われる重要指標を自ら設定し、明確な基準をもって達成に向っていくことができる人は、現実問題としてそう多くはいないでしょう。

 上記三つの難しさを解決するのに、大きな影響を与えるのはマネージャの力です。考課者研修があるように、考課基準とその判断を高い品質でさばいていくことができれば、フェアな評価が伴ってきます。二番目の問題も、マネージャが「失敗は永遠ではない」ことを示してあげれば、会社の雰囲気は大きく変わります。三番目の問題も、マネージャが目標設定を助けてあげれば、適正なKPIと、最低押さえなければならない目標と背伸びしたストレッチゴールの両方をバランス良く設定することができます。

 マネージャが成果主義に大きな影響を与えることを示す一例としては、マネージャの異動です。異動関連の会話をするとき、外資系でもよく「ケミストリ、大丈夫?」といった類の会話がなされます。そうです、相性の問題があります。「マネージャとの相性」は、業務においても評価においても大きな要素です。「マネージャが変わったら評価も変わる」、本来ないはずですが、必ずあります。相性の悪いマネージャと仕事をするのは、本人にとって不本意なはず。これは大きなストレスです。

 これを解決する方法は、部下が上司を選べるようにすること。しかしここまでやると業務が成り立たなくなります。そこでこの相性問題を緩和するには、360°評価です。重み付けは考えなければなりませんが、複眼的に見ることによって、偏った考えの上司に不合理な評価をもらうというリスクはかなり軽減します。「明るい成果主義」、「納得感ある成果主義」を目指していきましょう。

 P.S. 2ヶ月未満で退任した防衛省の大臣、どんな成果を残したのでしょうか?やはり日本の政治は世界の最低レベル。コメントを聞いていても腹立たしく、情けない。これだと成果主義も機能しないし、させようがない。キャリアとしては、立派な「大臣経験者」になるわけだし。やっぱり、運用は難しい?

一方、公務員に対する成果主義導入、楽しみです。「形骸化するのでは?」そうかもしれません。ただ、少しでも身を粉にして貢献している人のわずかでも評価されれば嬉しいですね。ぜひ、考課者には、国民を加えてもらいたいです。

「成果主義運用の間違い」 – 明るい成果主義1 –

『職場砂漠』という本を読みました。「働きすぎ時代の悲劇」とあるが、確かに悲劇である。あってはなりません。

 これらの諸問題は現実に存在するし、事実であると思います。一言では解決できない難しい問題です。現にこの本でも解決策が示されているわけではありません。どちらかというと、ジャーナリストとして真実を伝えるというモードで書かれています。

 危険なのは、これらの諸問題が成果主義自体の問題と誤解されることです。成果主義を問題視する書籍が話題となり、また、それを受け入れたくない層というか、これまでの評価制度からの変化に戸惑いを覚える人達に、「やはり成果主義は日本に合わない。」と追い風を送っています。

いつも成果主義そのものが間違いかのごとく叫喚されますが、成果主義はフェアな考え方であり、批判の多くは、その運用の間違いに基づくものです。仕事もしないのに、長年、籍をその会社に置いていただけで高給を貰っていては、低い給与で大きな貢献をしている人に説明がつきません、とても不公平です。

 ここで運用の難しさを述べたいところですが、長くなりますので、次回に譲りたいと思います。

 残念だったことは、この書籍のマーケティングです。インパクトのあるキャッチコピーがないとなかなか読者の目にとまって、買ってもらえないことは理解できますが、「グローバル化とIT化がもたらしたサラリーマンの心の病」と書かれては、成果主義どころかグローバル化とIT化が諸悪の根源のごとくです。

 出版社のマーケティング戦略に乗せられてはいけません。しかし私も中身を読まず、タイトルだけ見ていたら、誤解していたかもしれないところが恐ろしいところです。以前、私も本を出版したとき、自分の考えていたタイトルにはできませんでした。本のタイトルは、編集権の一部で、私が出した出版社では、社長決裁とのことでした。ささやかな抵抗として、日本では関係のない英文タイトルでは、勝手に私が想定していたタイトルで呼んでいます。

 私は「明るい成果主義」を主張したいと思います。

 敗者復活ありのフェアな環境において、貢献した者が報われる世界は理想のはずです。また、失敗に学ぶことは成功体験より学習効率は良いし、自分の弱点を強化して、またチャレンジすればいいのです。生活ができれば、給与が下がってもいいではありませんか。鬱になったり、命を絶つより楽なはずです。

 不向きな職種・職場・企業であれば、辞めて別の職場で頑張ることも正しい選択肢です。もっとも悩んでいるときは、このような発想ができないのは当たり前。日頃から「明るい成果主義」を頭に置いておきましょう。

 次回、成果主義、運用の難しさを補足したいと思います。

「自分ブランド」 – 余人をもって代えがたし –

 資生堂、アップル、メルセデスベンツ、三菱東京UFJ銀行、スターバックスコーヒー等など、ブランドの力って凄いですね。この前欧州の大手製薬メーカーの方と今流行のジェネリック薬品の話になりました。結論として、やはり「ビタミン剤レベルであればともかく、生命に関わるような薬品で、ブランドのないものは皆さん利用しないでしょう。」というコメントでした。

 ブランド価値は、付加価値の評価結果ともいえる「価格」を維持し、顧客の囲い込みに繋がっていきます。

 さて、人財マネジメントの世界におけるブランドとは何でしょう?あるいは、あなたのブランドは何ですか?「自分ブランド」は何かを認識しておくことは重要です。

学歴や名門の出身という優位性もありますね。ただしこれらはあくまでも静的な過去の資産・ブランド。ビジネスの世界での「自分ブランド」は、その人でなければできない仕事がどれだけあるかということだと思います。「余人をもって代えがたし」という部分が、その人のブランドでしょう。

コミュニケーション能力や語学力、財務諸表の理解、人間的な暖かさや好感度、コミットメントの強さ、誠実性、発想の豊かさ、業務に対する理解・経験、専門知識、それこそ評価項目は山ほどあるし、求められる部分も状況に応じて変わってきますが、「あの人なら安心できる」、「あの人でなければこの仕事は無理」という部分がビジネスパーソンとしてのブランドとなります。

先ほどのジェネリック薬品の話のように、どうでもいい領域はともかく、トラブル時や重要なビジネス案件になるとエース登場というのが一般的です。逆に他の人でもこなせる仕事であれば、それは代替可能という観点ではブランドの不要な仕事になります。その人しかできない仕事であれば、当然、高額報酬額も気にならないはずですし、未経験者でもカバーできる仕事であれば人件費の低い人・地域・国へ流れていきます。

人財の世界においても、ブランド価値が差別化要素になることは変わりません。実力はないが、言うことだけは大きい「偽ブランド」にも注意しましょう。

P.S. 日立製作所さんの広告「この樹何の樹、気になる樹」という詩から、もはや樹までブランドを持つ時代です。一説によると、日立さんはハワイの樹と土地を買い取ったらしい?

「皿回し仕事人」 – マルチタスク人財2 –

 より難しいマルチタスクが皿回しだ。

 なぜならば、全体のバランスを見ながら個々の皿の回転時間を予測し、落下という最悪の事態になる前に回転を復活させ、全体を安定稼動させなければならない。

 落ちそうな皿があってもぎりぎりまで手をいれない方が、他のタスクを処理できるので、効率が良い。リスクを取りすぎて、小刻みに回し続けると、同時に回せる枚数が少なくなってしまう。

 仕事と同じで、今後の流れを読み予測を立て、優先順位を決めて処理していく必要がある。優先順位が加味される場合、それぞれの皿の価値が考慮されると考えてよい。

 経験が深くなればなるほど皿の回転時間に対する予測が正確になり、どの皿を大切にしなければならないかを考えながら、できるだけ多くの皿を回していくことが「仕事のできる人」である。ビジネスパーソンと皿回し芸人の異なる点は、優先度の低い皿は割っても良いところかもしれない。皿回し芸人の場合、1枚でも割ると一気にそのパフォーマンスの価値が下がるが、仕事の場合、上手に無視してしまう、またはリターンが少ない仕事は捨ててしまうということも必要である。「知恵を絞って捨てること」は戦略であるので、これも「仕事のできる人」にとっては重要なスキルである。目先のことに追われて、大切な仕事をやり残しては、ローパフォーマーになりかねない。

 ときどき、いくつもの仕事が立て込んで、余裕なくぎりぎりの状態にあるとき「皿回し状態」と表現するが、なんとか回せているのであれば「仕事ができる」ことの置き換えでもある。

 マルチタスクと優先順位、ビジネスパーソンにとって重要ですね。

 P.S. 「脳のトレーニング」で聖徳太子というゲームがあり、同時に複数の会話が流れて、それを聞き取るゲームですが、意味があるのかなあといつも思っています。効果はあるのでしょうか?