「熟成と腐敗」 – 本物を追求する心とマネジメント –

某テレビ番組のやらせで多くの消費者が踊らされた。皆さんも記憶している納豆ダイエットの番組である。

そもそも私自身は、忙しいせいもあってほとんどテレビを見ない。あのアホらしい内容で時間を潰されることは耐え難い。
日本の発酵文化と技術については、いつか紹介したいと思っていたが、良い機会なので、取り上げたい。

今は倒産してしまった那須食品の納豆、実に美味かった。日本の納豆が正式に海外で紹介されたのは、大正時代にイタリアのWHO会議で紹介されたこの那須食品の納豆である。当時の宇都宮大学の教授が持って行ったとのこと。
この日本の伝統食品は、1000年の歴史があり、弥生時代から存在しているという。発酵技術と食は、日本の誇るべき文化だと思う。

那須食品社長のM氏が語り始めると、このあたりの薀蓄は数多くでてくる。一緒に福島県へ焼肉を食べに行ったときのこと。「腐りかけの肉は美味い」という話題になったが、彼曰く、「熟成と腐敗は違う」と正確なコメント。
その焼肉屋には特上の上に極上という肉があるが、ごく少量しか取れない。肉を切り取る部位が少ないことも理由のひとつであるが、熟成過程の中でカビが生え、それを削り落としながらさらに熟成させていくのでどんどん小さくなっていくからだ。これは明らかに腐敗菌による腐敗と異なる。
納豆は納豆菌による熟成である。納豆菌にはタカハシ菌とミウラ菌の2種類しかないそうだ。賞味期限の切れた納豆を食べても、熟成である限り病気にはならない。これは私も実験して食べてみた。乾燥して固くなるだけである。

今回の一瞬の納豆ブーム時、スーパーの棚から見事に納豆が消え、M氏に
-「売上げが伸びていいね。」
と言ったところ、
-「品質管理上、直ぐには増産できない。」
とすぐに否定された。
熟成させるには最低3日間必要で、最近の納豆があまり臭くないのは、熟成期間が足りないからだそうだ。
また、納豆ダイエット効果については、
-「もちろん間接的な効果はあるかもしれないが、食べた後、適切な運動を行って初めて効果が発揮される可能性がでてくるのであって、食べるだけでは痩せない。いたずらに増産しても意味が無いのでやらない。」
と適切なコメント。楽して大きな効果があるはずもなく、既に一過性のブームに過ぎないことを捏造発覚前から見抜いていた。これこそ本質を見抜く力とマネジメントである。

色々勉強させられた那須食品であったが、大変残念にも2012年に倒産してしまった。B to BからB to Cに戦略を移した矢先に東北沖の大震災が影響し、耐え切れなくなったという。良いものとビジネスは別物という残念な結果である。

これまで述べた熟成と腐敗は人間にも当てはまる。

年功序列という人事施策は、色々な経験を得て人間が熟成していくという仮説のもとでは成立する。何年経っても同じ仕事の繰り返しであったり、間違った歳のとり方では付加価値は増殖しない。それにもかかわらず、年月を経ただけで高給を払ったり、威張っていることが年功序列の弊害である。酷い場合には、長年の悪習や麻痺で、汚職や老害のような腐敗が始まる。
私自身は、経験を重ねた年配の方をやはり尊敬する。経験がその人の考えや判断力と融合され、人間の幅を醸し出していく。

「高品質の秘密」 – 品質の日本 –

 某自動車メーカー、米国でバッシングを受け大変な状況になっています。品質に自信を持っていただけに、非常に悔しい想いをしているに違いありません。対応の不味さと相俟って、いまだ収束の方向に向かっていません。

 あるコンサルタントが、「これは必ずケーススタディになる。」と言ったように、品質管理問題と事故が起こったときの対応事例になると思われます。企業戦略、製品戦略、品質管理プロセス、コスト管理、リスク管理、パブリックリレーションなど、非常に多岐にわたる課題が含まれています。

 私もコンピューターメーカーに勤めていますので、品質は大きな重要テーマです。ハードウェアにおいてもソフトウェアにおいても品質の問題や改善は絶えることのないテーマです。

 一方、過剰品質という言葉があります。日産自動車にカルロス・ゴーンさんが派遣されたとき、真っ先に指摘した項目の一つは過剰品質です。「超高級車と低価格車の両方に、同じウィンドウガラスが取り付けられているのはおかしい。」、「ライトも基準値以上の明るさは、どこまで必要か。」 品質問題はよく理解できますが、高品質はコストも当然高くなります。

 これは最近、あるソフトウェア会社の社長から聞いた話です。

 「日本の品質への期待値を米国に伝え、ソフトウェアのバグについてレポートしても、データが壊れるとか本番システムがダウンするような問題は別として、相手にしてもらえなくなっている。多少のバグがあっても、米国では大騒ぎにならないし、中国やインドはそんなことに関係なく売り上げは伸びている。」

 相手の主張も、もっともです。日本の場合、装置を届けるための外装に傷が付いていたり、外箱に汚れがあると、「こんなものはお客様に届けることはできない。」と海外まで送り返しますが、「中身に支障がなければ、問題ない。」と拘らない国もあります。

 ここに日本の、高品質の秘密があるのですが、前回書いたような几帳面で真面目な性格と、品質に対するプライドが日本人の心の奥底にあるからです。大昔からそうであったかどうかはわかりません。ただし戦後日本が高度成長したときの、モノづくりに対する拘りと品質に対するプライドはしっかり日本人のメンタリティに刻み込まれています。このメンタリティがなければ、高度成長はあり得ませんでした。

 倒産したGM、品質テスト項目数は日本のメーカー以上だったと言われています。重要なのは、その内容。きめ細かさや欠陥品を見逃さない姿勢、検査する人のメンタリティに差があったのではないでしょうか。マニュアルに沿った、時間賃金の世界での表面的な検査では、経験がものを言う微妙なエラーは見つけることができません。エラーの見落としがあっても、「自分はマニュアルどおりにやった。」と主張します。海外の工場に、改善依頼を何度も行っても、なかなか相手にしてもらえなかった経験があります。日本の電気メーカーの工場、表玄関の芝生は綺麗に手入れされており、そこには「品質のXX」という看板が立てられています。少なくとも私がお付き合いしている日本の製造業には品質に対するプライドがあり、欠陥品を造ったり、見逃しては「恥だ」というメンタリティがあると思います。冒頭の事故、設計やプログラムのミスはグローバルなエラーでしたが、ペダルについては、日本で製造されたペダルから問題は発生していないとのこと。

 P.S. 
昔の話ですが、メキシコで製造されたコンピューター。動かないと中を開けたら、ファーストフードで有名なハンバーガー店の包み紙が出てきたことがあったそうです。過剰品質とのバランス問題もありますが、「恥の文化」も捨てたもんじゃありません。