「研修の罠」 – 仮想社会 –

 セカンドライフ、サードライフ。いくつも人生がやり直せるようになった。

 リンデンラボのセカンドライフ、入ってみましたか?(もう潰れていますが)

 RMTで、お金のやり取りもできるので、ほぼ現実の世界と変わらない。ゲームの世界もそうだが、いわゆる「ハマる」と、現実と仮想空間の区別がわからなくなる。怖いし、ハマっている人をみると気持ち悪い。実際、仮想の世界を現実と混在させて、自分を救っている人も多い。現実の世界では達成できないかわりの代償行動(substitute behavior)であり、仮想世界に身をおいて投影(projection)する心理学でいう防衛機制の1つだ。

 私自身は、そもそも画面の動きについていくこと自体に脳が反応しきれなくて、酔ってしまう。ああ、気持ち悪い。慣れてしまうことも恐ろしいので、無理して続けないことにした。

 あるパーティで書いてもらった似顔絵。これもある意味で仮想の世界だ。描いてくれた人は、プロの似顔絵師のMさん。全米似顔絵コンテストで3位の素晴らしい人だ。私の似顔絵だと素材がよくないのであまり面白くないが、他の人が描いてもらったものを見ると、見事に特長を捉えている。

 人財育成の世界において、永遠のテーマといってもおかしくないのが、研修の効果測定である。色々な人が研究を続け、その効果を明示的に証明しようと努力してきた。研修の狙いも色々あって、モチベーション向上や資格取得など様々だが、ビジネスの世界においてはやはりROI、企業にどのような利益をもたらしたかであろう。

 一流の研修講師が本音を話していた。

– 「講師と研修の評価は、研修が終わったときに受講者がどの程度その気になっているかなんですよ。」
– 「リーダーシップの研修が終わったときに、自分はリーダーになれると思ってもらえれば、アンケートの評価も高いのです。」
– 「でも実際、1週間も経てば、すっかり忘れてしまって、リーダーどころか足を引っ張っている人もいます。」

「犬も木に登る」とはこのことか。

 映画館でアクション映画を見たとき、自分はヒーローになって、世の中に怖いものはなく、正義心のかたまりとなる。またまた、ラブロマンスを見た後に、となりの恋人と永遠に自己犠牲の愛が続くと錯覚する。
 
 
 しかし、1時間もすれば現実に立ち戻り、スーパーマンのように空を飛べると夢見ることもないし、恋人とも喧嘩が始まる。

 研修は仮想の世界では困る。しばらくの間その気になるだけでは効果は無い。このような研修にコストをかけている企業がどのぐらいあるだろう。学んだことの定着は、全て本人の姿勢である。ここに「学習」と「研修」の違いがあると私は思う。「自ら目的を持って学ぶ」これこそが、仮想の世界で終わらないための大切な要素なのだ。

「学習意欲」 – 成長のエンジン –

 ビジネスの世界における成長とは、過去の経験を活かし、より良い判断、生産性の高い仕事をしていくことをいう。成長することに対する期待値がポテンシャル、成長することがビジネスパーソンとしての人財価値の向上である。

 具体的には、意思決定が必要な仕事であれば、リスクと結果を予測して最適値を導き出す能力が向上すること。例えば企業買収などの大きなリスクを伴う意思決定や、顧客からのクレームといったトラブル対応の適切な対応が挙げられる。

 技術であれば、経験や訓練を積むことによって素早く難易度の高いものを処理していくことができるようになることが「成長の証」である。ものづくりであれば、品質やスピードが違ってくるし、医師を例にとると、症状を診断し、正しい処方を施すことができる能力である。名医ともなれば、教科書的に処理するのでなく、患者の特性やその時の症状を考慮して薬の量を調整したり、投薬のタイミングを変える。外科であれば、手術そのものに巧みの技が表れる。「名医になるためには何人かを犠牲にしなければならない」なんて友人の医者は言っている。物騒な話であるが、事実である。医師の仕事において、99%ともいえる一般的な処方や処置は、医学知識があれば誰でもできるが、残りの1%の難しい処方や手術は、名医と普通の医者では雲泥の差がでるという。

 皆さん、「ここぞ!」というときは名医を探しましょう。

 成長を助長するものとして、私は下記の3つを重視している。つまり成長のためのエンジンである。

– 素直な心
– 学習のインセンティブ
– 変化性向

 「素直な心」、これは子供達が証明している。透き通った目で物事を吸収していくのでどんどん成長する。後輩を指導しても、素直でない社員は育たない。疑問を持つことは大いに結構、ただし検証の努力やそれ以上の勉強なくして、あまのじゃくになっていても絶対に成長曲線はジャンプしない。

 「学習のインセンティブ」、これは、モチベーションに近いものがある。学習する目的がないと、そもそも人は学習しない。目的を持った学習こそが最も効果的な学習である。自分の役割、使命を遂げるために能力を磨くこと、そしてその磨かれた能力によって成果をあげた結果、報酬に繋がれば、学習のインセンティブは大きい。人の命を救うことや人類の進化に貢献することも社会的に意義のあることで、これも大きな学習のインセンティブである。立派な大人になりたい、憧れのスターになりたいというのも子供にとって、大きなインセンティブである。学習のインセンティブは大きな成長のエンジンである。

 「変化性向」、現状に流されること無く、常に変化を追い続けること。これが最も難しい。知的好奇心が強い人は、変化性向の強い行動をとることは比較的容易かもしれないが、変化をリスクと感じる人には恐怖感が伴う。この恐怖感を克服した人は、明らかに成長する。健康な脳は絶えず刺激を求めているので、何も刺激のない状態、例えば真っ暗な音も遮断された部屋に閉じ込められると幻覚を覚える。成長するためには変化を求めていかなければならない。

 よく「失敗を恐れず」と言うが、サルでも失敗した経験のあるサルの方が発達している、つまり成長しているという。

 さて、あなたの成長のエンジンは何でしょうか?

「メール文化の弊害」 – ユビキタス時代の仕事のあり方1 –

 電子メールがないと仕事にならない。事実そういう世の中になってきました。ただし電子メール依存は要注意。

 ユビキタス時代とはいえ、今回は電子メールの弊害を3つあげてみます。

(顔の見えないコミュニケーション)
肉声や表情がないリスクは大きい。これは簡単にご理解いただけると思う。私も経験があるが、自分の意図とは裏腹に、相手の心証を傷つけてしまうことがある。「メールはきつい!」と思ったことはないだろうか。感情が伝わらない、もしくは真意が誤解されて伝わってしまう。

顔の見えないコミュニケーションは危険である。笑いながら怒ることってよくあるし、心から怒っていても、メールでは無視されるケースもある。反対に、メール上での喧嘩を稀に見かけるが、救いようが無い。

(生産性の悪化)
 電子メールを活用しないと、現代社会での生産性は低くなってしまう。したがって利用は当たり前。ここからの話は相対的なものと考えてもらう必要があるが、処理の仕方によっては必ずしも生産性があがらなくなる。

例えば、会社の中でメールをリアルタイム処理している人いませんか?

所詮お手紙なので、リアルタイム処理には向かない。ポストの前で郵便配達の人を待っているようなものである。メールを出したら瞬間的に返ってきて、ほとんどオンライン状態。郵便配達であれば、基本1日1回であるが、電子メールの配信サーバーは疲れを知らない。ポンポン到着する度に反応していては、仕事に集中できていない証拠である。

「ながら族」としての仕事の仕方もあるが、量も多く、質の高い仕事は、やはり「集中」である。電子メールを処理していれば仕事をした気になる人がいるが、それは真ではない。付加価値を大きく生み出す仕事は、一部の職種を除いてメール処理以外の仕事にある。時間帯を決めて、集中処理がベスト。

 ちなみに仕事中にチャットを使っている社員は、最悪。会社でログを取っているところもあるようだが、ほとんどが業務に関係のない内容という結果が出ている。海外の人間と、技術情報の交換などを除いては、遊んでいるだけである。パソコンに向っているからといって、仕事熱心と思ってはいけない。

 目的志向の国なのか、中国でのチャット利用率は80%以上らしい。米国では17-18%、日本は比較的低く14%ということで、そんなに高くはないが。

(私生活への進入)
 携帯電話を持たないと不安だという人が増えているが、電子メールを見ないと落ち着かない世の中になってきた。非常にオンとオフが切り分けしにくくなった。「携帯電話とメールの届かない南の島へ行きたい。」という言葉は現実のものとなった。

 最近はセキュリティの関係で、社外にパソコンを持ち出せない会社が増えてきたが、それはそれで不便である。

P.S. 機内コンセントのヒント
 ビジネスパーソンにとって、移動中は貴重な仕事時間でもある。最近では新幹線にもコンセントがあるし、飛行機にも設置されていて便利だ。

 ところが、電源容量が足りないせいか、コンセントから供給されないケースが少なくない。電源が入らないか、バッテリーでの稼動となってしまう。隣の外国人ビジネスマンが、「バッテリーを外さないとダメ」と言っていたが、そのときは理由がわからなかった。この前、航空会社の方に聞いたところ、バッテリーを装着したまま利用すると必要な電気量が多いらしく、飛行機の電源供給量では十分ではないらしい。

 試しに外してみたら、非常に快適。まったく問題なく長時間利用できた。ちなみに英文機内誌の隅っこの方には、説明文が書かれているらしく、ほとんどの日本人は気づいていないらしい。これでは、当たり前ですねえ。

「データの罠」 – 口コミ・マーケティング時代 –

「データでもって証明してください。」と誰しも言われたことがあると思う。

稟議資料やプレゼンテーション資料、客観データが入っていると、説得力が増す。これは事実だ。徹底的にデータ検証、データ分析することによって、新たな事実やこれまで見えていなかった事象が見えるようになることもある。

いずれにしてもビジネスにおいて、事実を認識・理解していく過程、意思決定していく場合のデータには大きな価値がある。

一方人財マネジメントの領域においては、圧倒的に客観データが少ない。「情実人事」などと言われるように、顔が見えている人事が多く、上司が部下を知っていることによる適切な判断がなされる。ところが上司が異動してしまったり、付き合いが短い上司と部下だと、双方に大きなリスクが発生するというのがその実態だ。したがって、この客観データを提供していくことこそが我々の仕事であると考えている。

客観データをできる限り与え、最後は「人肌の人事」でマネジメントしていくことを私は常に主張している。私の勤めていた昔の会社では、夫婦で勤めていた社員が少なくなかった。どちらかが地方へ転勤になると、旦那もしくは奥さんの方の希望を聞いて、できる限り一緒に転勤させることを試みる上司が複数いた。ITで人財マネジメントを支援していながら、こんなことを言うのも変かもしれないが、「人肌の人事」があるからこそ人財マネジメントは人間の仕事なのだ。

久しぶりに那須のA温泉に行った。いつもながら良いお湯である。

知人のために宿泊予約を調べようと、ウェブサイトを見ると、ネット掲示板での書き込みがある。この利用者参加型の評価システムは、存在感が日増しに大きくなって、ブログや書き込みコメントを商売にするプロ達もでてきた。Web2.0時代の新しいマーケティングである。

概ね実態どおりの評価が並んでいるが、ある人が酷評している。好き嫌いは当然あるので、それはそれで正しい意見かもしれないが、明らかにこの人温泉わかっていないのではと思われるレビュー内容だった。よく読んでみると、文章もおかしい。

ところがこのメッセージには罠があった。データがきっちり提示されているのである。

温泉の成分分析がグラフで提示されていて、「A温泉はB温泉とまったく同じである。それなのにxxx円は高い。」というのがこの人のメッセージである。

私は栃木県人で、A温泉もB温泉もよく知っている。色々なところを巡るものの、大体毎週出かけるので、行った回数も半端ではない。明らかにA温泉とB温泉の泉質は異なる。肌がツルツルになり、美人の湯とも言われている。お酒のブラインドテストではないが、目隠しして入っても、その違いを当てる自信がある。それぐらい入浴時の感覚は違うのに、データを信じきった人が断言している。またそのメッセージはネットを通じて瞬く間に伝搬していく。

口コミ・マーケティングが「悪い方に作用」すると、また、「データを情報に変化させないまま活用」すると大変なことになる。

「ジャグリング仕事人」 – マルチタスク人財 –

 経験の差、また個人の資質として差がでてくる領域がある。マルチタスクだ。

– 「私は今この仕事をやっているからできません。」
– 「1つの仕事に集中したいんです。」

 もっともだが、現実には1つの仕事だけやっていればいい人は少数派だろう。非常にシンプルな作業で、他の人とのコミュニケーションがあまり必要のない仕事はシングルタスクの方が効率がよいかもしれない。

 実際、複数の仕事を並行してこなしていくよりも、並行させない方が効率的であると主張する人もいるが、結論としてはマルチタスクの方が仕事量(スループット)は多くなる。その理由は、仕事には必ず無駄があるからだ。

 コンピューターのマルチタスク処理のベースとしてパイプライン処理がある。処理プロセスを分割して、処理の流れを複数化し、CPUが空いた隙間にどんどん処理を詰め込んでいくやり方だ。この場合の仕事の無駄は、データをハードディスクからメモリに読み込んだり、メモリのあるアドレスから別のアドレスにデータを移したりという作業で、シングルタスクの場合、CPUは「待ち」に入ってしまう。

 人間の仕事も同じで、複数の人と仕事を進める場合、ある人の返事がもらえないと判断ができないとか、電話がかかってきたり、想定していない事故がおこったり、前提となるタスクが遅れたり、必ず仕事の隙間ができてしまう。このとき1つの仕事しか処理していない、つまりシングルタスクだと「待ち」や「無駄」が生じてしまう。経験が深い人は、この無駄をよくわかっている。

 ジャグラーは、2本の腕しかないのに3本以上の棒や3個以上のボールをコントロールしてしまう。棒やボールが空中に存在する「隙間」を利用してマルチタスクを可能にしている。この「隙間」を読みながら数多くの仕事をさばいていくプロフェッショナルがジャグリング仕事人だ。

実は単発の仕事で、能力の差は大きくでない。(ドライバーなのに運転免許を持っていないとか、英語が必要なのに英語が話せないなど、土俵にのっていない場合は話にならないが)「仕事のできる、できない」は、マルチタスクがこなせるかどうかで、全体的な仕事量、つまりスループットと質に大きな差がでてくる。

 企業が求めている人財は、やはりマルチタスクをこなすプロフェッショナル。

ジャグリング仕事人になろう。

「グローバル・オペレーション」 – ユビキタス時代の仕事のあり方2 –

 仮想企業ではありませんが、グローバルなオペレーションを行うとなると、ユビキタス環境は必須。昔、ソニーの本社を香港に移すというアイデアがありましたが、日本企業も真剣に考えるべきです。IBMのパソコン事業を買い取ったレノボは、早々と米国ラーレイへ本社を移しています。

 つまり、ユビキタス環境があれば、本社も支社も関係なく、各機能別に最適な場所で仕事をしていけばいい時代になりました。

 昔IBMという会社にいましたが、当時はまだ、外資系ではあったものの、グローバル企業の匂いは非常に薄かったと思います。個人としてはグローバルな濃いオペレーションをしていた人もいたと思いますが、グローバルに全体最適されていたとはとても思えません。

 現在の環境は、まさしくグローバル・オペレーション。色々な人とコミュニケーションしますが、誰がどこにいるかわからない状態です。

営業チームは、地域特性を活かすことが必要ですし、ローカルが中心です。自社の中だけであれば閉じた世界で問題ないのですが、グローバル企業のニーズに応えるためには、地域間の連携も重要。他国の営業チームとの連携も珍しい話ではなくなりました。コンサルタントも、売れっ子は国境関係なく飛び回っています。サポートチームは24時間体制で、時差を利用した連携体制。R&D、研究開発部門は米国とインドに拠点を置き、インドのボンベイはグローバル企業が集中し過ぎたので、通勤事情や採用状況を加味してプネというところにも拠点を持っています。しかもR&Dの責任者はカナダに住んでいるので、「拠点がバラバラで、しかもこんなに距離があるのに、支障はないか?」と聞いたら、あっさり「何も問題ない。」と二つ返事。考えてみれば、同じビルで仕事をしていても、フロアが離れれば似たような状況かもしれません。

このような環境の中、場所を意識するのは電話会議を実施する場合ぐらいです。資料を共有して同期型のeラーニングツールを利用し、コミュニケーションを図れば国が離れていても、隣に相棒がいるような感じです。昨日も米国のコンサルタントチームが、遠隔で中国のプロジェクトをカットオーバーさせていました。

ユビキタス環境で重要になってくるのは、ネットワークと物事を統合していく力。

 距離は関係なくなったとしても、異文化を受け入れながら各チームが連携していかないと、大きな仕事、良い仕事はできません。これがネットワークと統合。

 小さな付加価値でも統合していくと、小さな付加価値の総和以上の価値、もしくは形を変えた新しい付加価値が生み出されます。組織に異文化が必要な理由はここにあります。私のシナジー理論ですが、これは別の機会に述べてみたいと思います。

 P.S.(1)あるときi-podへの曲のインポートをネットワークに繋がない状態でパソコンに取り込んでいました。取り込むこと自体は問題なかったのですが、曲名や演奏者情報が登録されず、「track1」、「track2」、「track3」のような表記になっています。最初愚かにも、手作業でタイトルと演奏者を編集していました。安かったので、オムニバス版?か、もしかしたら海賊版?と思いきや、なんとインターネットを通じて情報を書き込んでいたのでした。知らなかったのは私だけかもしれませんが、ネットワークと統合の良い一例です。個々の要素技術で優れている日本企業がアップル社に勝てないのは、ネットワークと統合の観点で負けているからです。

 P.S.(2)友人のビデオコンテンツ配信会社。レンタルビデオ屋を塗り替えるビジネスモデルで、映像を見る限り、それはごく近い将来、起こりうると思いました。その会社は特にハイビジョン映像をターゲットにしており、ネットワークによる配信スピード最適化を研究し続けています。感心したのは、ICTと映像の融合。「電車でxx!」のような、電車マニアが全国を旅するコンテンツだったのですが、各地の美しい映像はさることながら、自分の通った軌跡がパソコン上の路線図に記録され、全国制覇の状況を見ることができるようになっています。そしてGoogle Earthと連携して、各地の名所や詳細な現地の雰囲気を伝えるような工夫がなされています。ハイビジョン映像と連携すれば、まるで現地を自由に旅している体験ができます。

「グローバルイニシアチブ」 – 美しい国、第一次安部首相 –

 安倍首相、ぜひ「美しい国」のために頑張って欲しい。と書いていたら、突然の辞任。今回のコラムを大幅に書き換える羽目になってしまった。

 安部首相の優位性はどこか?私は顔だと思う。歴代首相のなかで、ダントツではないかと思っていたら、「ありえない!」と強烈に反論されました。主観の問題なので、皆さん色々なご意見をお持ちだとは思いますが、海外メディアに露出する顔として愚鈍に映っては日本のイメージとしてよろしくない。キリリとしまった整った顔は必要と評価していたのに。ケネディもクリントンもパパブッシュも格好良かった。フランスのシラク大統領もしかり。アジアではマハティールなんか、小国なのにしっかりした目線と強力なリーダーシップがあった。

 最近では、閣僚の不祥事で、曇りがちな表情がさえず、朝青龍よりも安部さんの方がよっぽど鬱の手前ではないかと心配していた矢先である。

 せっかく「美しい国」というキーワードを持ち出したのだから、環境問題をもっとアピールしていって欲しかった。中国は、経済成長と国力で世界の主要国の地位を狙ったが、環境問題やチャイナフリー問題で早くも失墜しています。

 ドイツのメルケル首相は、明確にアメリカの協力を呼びかけているし、オーストラリアのハワード首相はグリーン問題についていち早く予算化し、インドネシアなど他国の緑まで保護しているではないか。

 さきほどアメリカのテレビを見ていたら、APECのニュースが流れ、ハワード首相がブッシュ大統領にグリーン問題を呼びかけていた。そもそもアジア圏にブッシュが乗り込んでくるのも余計なお世話という感があるが、彼らは世界の全ての分野においてリーダーシップを取ろうとしてくる。それが彼らの自然な行動規範、コンピテンシーなのだろう。

 日本の首相は、国内政治問題の恐ろしく低いレベルのパワーゲームにエネルギーと知恵を使わず、今こそ環境問題を世界に主張し、リーダーシップを取って欲しい。異常気象の連続で、環境に対する問題意識は高まっているし、なによりも日本には「京都」というブランドと「京都議定書」という印籠がある。それに批准しないアメリカに強く主張できるはずだ。アメリカのご都合主義を打破する良い機会である。

 アメリカ文化は政治に限らず、調子の良いところが時々ある。狂牛病のときも、「あれはカナダ産だった。」といち早く反論。他にもご都合主義の例をいくらでもあげることが出来る

– リーダーシップは取るけれど時間が経つと忘れている
– トラブルになると聞く耳を持たない
– 自分にとって都合の悪いメールには無しのつぶて
などなど。同感のところはありませんか?

 謙虚さを伴ったグローバルイニシアチブをとって行くことが、日本流のリーダーシップではないだろうか。やはり武士道は大切である。小説なので実物は異なるようだが、『壬生義士伝』の吉村貫一朗、涙します。こんな首相はいないものか。

「ITによる人財マネジメント」 – 人事情報の非対称性 –

Googleが上場もしていない頃、Googleの創業者と渋谷で会った。まさかマイクロソフトを追い越す企業になるとは思わなかった。

さて、人財マネジメント分野におけるIT企業はあまり日本に進出していない。米国にはこの領域に、かなりの数のIT企業が存在する。はっきり言って、人事関連のアプリケーションにとって日本は難しい市場なのだ。

難しい理由を私なりに考えてみる。

まず、そもそもIT市場の伸びが少ない。アジア圏であれば、中国、インド、ベトナム、タイなどの伸び率には遠く及ばない。

「企業は人なり」という言葉とは裏腹に、人事システムの優先順位は高くない。やはり会計システム、生産管理システム、サプライチェーン・システムなどの後塵を拝することになる。

最も大きな理由としては、日本の人事部が偉すぎることだ。昔からエリートの集まりで、出世街道を歩くためには、どうしても人事部を経験しなければならない会社もあったくらいだ。なぜ人事部が偉いとダメなのか?ITを馬鹿にするからである。ITを崇拝するのは具の骨頂であるが、上手に利用した方が生産性は高い。ビジネス上の連絡に、現在でも郵便手紙を使っている人は何人残っているだろう?インターネットベースのメールシステムがないと仕事が立ち行かない。やはりITを上手く利用して、戦略思考に時間を使わないといけない。

以前、書籍を執筆したときに、「人事情報の非対称性」について述べた。これは情報の有無において不均衡が生じることで、人事情報はとても隔たりが出易い。機密性の高い情報でもあるから、注意が必要なことは確かだが、人事部だけが独占する必要もない。「見える化」すると、都合の悪い情報があるので隠していることも多いはずだ。悪いケースだと、この人事部だけが持つ情報を人事部の優位性にしてしまって、自分達の業務の特殊性を主張する人達もいる。ITは「見える化」を促進する。

面白い統計がでている。「人事制度設計に熱心な企業の業績は最近悪化している」という統計である。笑い話で(実例らしいが)、大病院における投薬の例がある。高血圧の患者が大量の薬を貰い、効きすぎて調子が悪くなった。別の医師に調子が悪いことを告げると、血圧が低すぎるので血圧を上げる薬を出され、2種類の薬を飲まされ続けたとのことである。人事制度もいじりすぎると、効果は相反する部分もでてくるし、複雑すぎてよくわからない評価制度などもある。人事制度設計を趣味のように考える人事の人がいたら要注意だ。

「所詮IT」、「たかがIT」であるが、日本の人事プロセスの生産性を高め、経営者、管理職と人事部が「戦略思考に費やす時間」と「人肌の人事に費やす時間」を増やし、少しでも日本企業の競争力強化に貢献していきたいと思う今日この頃である。

 

「101%の努力」 – 最後に笑うのは勝者 Winner takes all –

自社の社員、良く働きます。ダラダラ残業する社風はありませんが、生産性は社員に強く求めています。また、私自身チームリーダーであると共に、戦友ですから、喜びも苦しみも共にしています。

この仲間に、常日頃からアドバイスしている項目の1つが「101%の努力」です。

世の中努力しない人間、努力しない企業は、まともな競争社会において存在しません。みんな努力しているのです。「自分ができる100%の努力をすればいいじゃないか」という考え方も確かにあります。ただし、それにはリスクが伴います。なぜならば競争相手も100%の努力をしてくるからです。運によって、また、相手の努力が少しでも勝った場合、敗北となります。Tシャツに小さなロゴが入っているだけで、Tシャツ価格が大きく上がるように、差別化のポイントはごくごく小さなポイントなのです。この小さなポイントをつくるために1%の努力が必要となります。

一方、もっとも馬鹿らしいと思われる仕事のやり方は、99%の努力です。勝ち負けが1もしくはゼロの場合、99%努力しても99%のリターンや評価はもらえません。これは最も愚かな仕事の仕方で、要は手抜きの仕事をした場合です。ゼロの結果であれば、なにもしないで遊んでいた方が有益かもしれません。努力した経験やプロセスは残るので、まったく無駄だとは思いませんが、ビジネスの結果という点においては評価されませんし、仕事のやり方としても私は好きではありません。「負け癖」というのは、手抜きの仕事からついていきます。

101%の努力をした場合、競争相手が100%つまり完璧な仕事をしてきたとしても勝てる可能性が飛躍的に高まります。そして、そのリターンは100%以上のものが返ってくるケースも少なくありません。

– 99%の努力 ? ゼロ・リターンの可能性大
– 100%の努力 ? 勝率50%、想定したリターン
– 101%の努力 ? 勝率限りなく100%に近づく、予想以上のリターン

必ずしも上記のようにならないケースもありますが、なにより「人の成長」の観点では101%が最も効果的です。
人は、苦労した部分が知識・ノウハウとして身についていきます。差をつけるために1%努力することは大変かもしれませんが、苦労した部分ほど経験の深い部分になりますし、+1%の努力ができるかどうかで「勝ち癖」に繋がります。

「日本企業のグローバルガバナンス」 – 頑張れ日本企業 –

グローバル企業に勤めるにあたり、気づいた点というか再認識させられたことは、日本企業のグローバルガバナンスの弱さ。特にITの領域は、ほとんど野放し状態である。

海外のIT責任者と話をするとよくわかるが、本社側のガバナンスはほとんど効いていない。これは以前ERPを取り扱っていたときとほとんど変わっていない。つまり20年前とあまり状況が変わっておらず、失われた20年状態である。

20年前に何が起こっていたかと言うと、日本企業の現地法人のITアプリケーションは、多くのものが現地任せ。「各国の現地事情に合わせた選択」、一見当たり前のようであるが、実は言語の壁もあり、「ガバナンスするのが面倒、勝手にやってよ。」というのが本音ではないだろうか。挙句の果て、グローバルでデファクトになりつつあるものが逆輸入されてくる始末。

ガバナンスを辞書で調べると、「統治、管理、支配」。いずれもあまり心地よい言葉ではない。よく聞く言葉として、コーポレートガバナンスは皆さんご存知であろう。企業統治という翻訳は適語かもしれないが、ニュアンス的にはなかなか日本人にはなじみにくい言葉と思う。グローバルガバナンスも、政治学だと「国際社会の統治」という意味になり、IT領域におけるグローバルガバナンスとは意味が違う。

日本企業の現地法人の例を述べたが、欧米企業のグローバルITプロジェクトのやり方はまったく異なる。最初からグローバル・ワンボックスが前提で、同じソフトウェア、できるだけ統一したオペレーション、1つのデータベースが常識である。間違っても「各国好きなように」とはメッセージしない。狩猟型民族と農耕型民族の違いもあるのであろう。全世界のデータを「見える化」させようとしているし、ITもプロセスもグローバルな視点と範囲で最適化しようとしている。収益率を計るROA等が欧米企業と大きく差を空けられているのは、こういった最適化度合いも一要因である。
急速にクラウド化が進んでいるので、地勢的な環境はなくなり、グローバルな統一環境は促進されると思われるが、グローバル環境下におけるリーダーシップとガバナンス力はもっともっと強化していく必要がある。

日本の人財マネジメントを考えた場合、これからは狩猟型人財を育てなければダメ。待つだけでは大切な畑を荒らされるだけで、餓死してしまう可能性がある。

一方、異文化のギャップを感じやすい立場にある分、日本人はローカライズが得意。アメリカでしゃぶしゃぶレストランに行ったら、七味(しちみ)唐辛子が置いてあった。なんと英語名は’Nanami’と表現されている。元々「ナナミ」と呼ばれることもあったようだが、海外で発音し易いように意図的に「ナナミ」を適用したと思われる。

もう1つ、飲み物としてカルピスウォーターを注文したが、これも’Calpico’と可愛いネーミングがされている。

日本と同じ命名だと、とんでもない意味になるので、変更されたようだ。この「とんでもないもの」は何か?皆さん、頭の体操にお考えください。